第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
心底楽しそうに笑っている蛍にはつられて頬も緩むが、なんとも清々しい程の姿に目を細めてしまう。
女性の時は恥じらう姿がまた愛らしいと思うことがよくあったが、男の蛍は潔さの方が際立つ。
「体だけでなく、姿勢も変わったように見えるな。巽青年と吸血木から解放された時もそうだったが」
「ああ、うん。あの時は本当に男の姿でよかった。まさか着ていたもの全部溶けてるなんて」
「俺はあまり良い気はしなかった」
「大丈夫だよ。男の体なんて見て減るものじゃないし」
「そういうものか…?」
「そういうものです。あ、杏寿郎は別だけど」
「む?」
「立派に鍛え上げただけじゃなくて、軌跡の傷跡も抱えた体だもん。誰かの熱い視線でも集めたら…少し、妬いちゃうかも」
自分ではそんなこと微塵も思ったことはないが、初めて蛍を抱いた日に、綺麗だと言われた。
杏寿郎しか持っていないものだから、凄く綺麗だと。そう優しい口付けと共に。
あの時と同じに、どくりと鼓動が一つ跳ねる。
少し恥ずかしそうに眉尻を下げて笑う蛍には、男の姿でも普段の彼女の面影が残っている。
やはり蛍は蛍のままだ。
そんな実感と共に無意識に手が伸びた。
少しなどと言わずに妬くだけ妬いて欲しい。
その不安を全て埋め尽くす程の想いを捧げたいから。
「ほ──」
「よしじゃあ次は私の番ね。杏寿郎の体も洗ってあげる」
「っいや、俺は」
「遠慮しない遠慮しない。散々泡塗れにされたんだから。次は私の番」
「待て君、そういう意味で言っ」
「問答無用!」
もこもこの泡を掌に掬い取った蛍が構える。
待ったをかけるも、無邪気な少年のような笑顔を浮かべる蛍を止める術はなかった。
触れようと伸ばした手は忽ちに泡に塗れ、望んだ肌に触れることはできなかった。