第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「へー…成程」
感心したように頷く蛍の頭を、再度撫で回す。
きょとんと見上げてくる動作が愛らしく見えて更に撫で続ければ、くすぐったそうに逃げられてしまった。
「じゃあ、行こ?」
どうにも甘やかしたい思いが膨らんでいる今は残念な気もしたが、手を握られ誘われれば頷く以外の選択肢は到底なかった。
柔く手を握り返して笑顔を返す。
「うむ」
蛍の露天風呂初体験を貰うことができるのだ。
そう思えば悪い気もしない。
(俺も大概だな…)
蛍が知らない世界をもっと沢山広げたいと思う反面、蛍がその世界に踏み込む時に隣にいるのは常に己でありたいと願う。
初めてのものに染まる蛍の一挙一動を、誰よりも傍でこの目にとどめていたいのだ。
「──そういえば」
「ん?」
蛍の手を引き脱衣所へと向かう際に、ふと足を止めた。
振り返り見た顔は期待に満ちた表情をしている。
その目は窓硝子の先の露天風呂しか見ていない。
「なぁに?」
「いや」
あまりに子供のような期待に満ちた顔をしていたからか。喉まで出かけた言葉を呑み込み、杏寿郎はにっこりと笑顔だけを返した。
「さ。行こうか」