第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「蜜璃ちゃんにね、日輪刀を作る刀鍛冶の人達の里に立派な温泉があるって聞いたの。いつか行ってみたいなぁと思ってたけど、まさかこんな所で巡り合えるなんて」
刀鍛冶の里の温泉は自然の中にある。
目の前の露天風呂とはまた一味違うものだ。
しかしそんな野暮な説明などする気は起きず、嬉しそうに笑う蛍の横顔を見てぎゅっと拳を握りしめた。
「よし! では入ろう!」
「えっ今からっ?」
「うむ! 入りたいのだろう?」
「うんっ。あのね、ほらあそこ。あっちの露天風呂なら上に屋根がついているから日陰になっているし。あそこなら今でも入れると思うの。お昼間からお風呂って贅沢かもしれないけど、許されるなら入りたいなぁって……杏寿郎?」
弾む声を抑えきれず、二つある露天風呂の木材の浴槽を指差す。
幼い少女のように期待を胸に膨らませて告げる蛍を抱きしめるのに、そう時間はかからなかった。
無言でぎゅっと抱きしめる杏寿郎の顔が細い肩に埋まる。
「ど、どうしたの?」
「朝でも昼でも夜でも、いつでも入っていいんだぞ。いつだってつき合おう」
「そうなの?」
「蛍が入りたい時に入っていいんだ」
「そうなんだ…すごいね」
感心したように呟く蛍の声に、胸の奥がきゅっとなる。
抱きしめたまま愛でるように、ついつい目の前の頭を撫で付けてしまう。
蛍とは鬼殺隊本部を出てから色んなことを経験してきたつもりでいたが、まだこんな落とし穴があったとは。
(話せばまだまだ未開拓の地は出てきそうだな…)
全国から男が立ち寄る身売り屋で働いていた為に知識は豊富にあるのだろう。
しかし蛍自身が経験したものは少ないのかもしれない。
気にはなったが今は逐一掘り返して訊くべき時ではない。
両肩を握って体を離すと、にっこりと笑顔で杏寿郎は先へと促した。
「では早速入ろうか」
「あ…杏寿郎も一緒に入ってくれるの?」
「? 勿論そのつもりだが」
「露天風呂って混浴なんだ…」
「ふむ。分けられている所も勿論ある。しかし此処は個室の露天風呂だからそもそも入るのは俺達しかいない。故に男女別など気にしなくていいんだ」