第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
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ちゃぷりと湯船が揺れる。
透明な水面を見つめる蛍の体が、そう、と沈む。
「熱くないか?」
「ん…ちょっと。でもそとがはだざむいからちょうどいい」
「そうか。では下ろすぞ」
「うん」
屋根付きの木目の浴槽までは、少しも陽に当たらないようにと体を小さくして杏寿郎に運んでもらった。
そこまで面倒をかけさせるのは少しばかり気が退けたが、それ以上に初めての露天風呂の魅力に負けた。
ゆっくりと湯船に浸かる杏寿郎に抱かれた蛍もまた、熱い湯の中に落ちていく。
同時に大人へとゆるやかに変貌を遂げる体はなんなく浴槽の底に足を付け、腰掛けの段差に腰を下ろすと、ほぅと息が零れた。
安堵の吐息ではなく、心地良い微睡みの吐息だ。
肌を出して外気に触れた体が、熱い湯に包まれてじんわりと体の芯から温まっていく。
湯の気持ちよさもさることながら、外部に出ている肌はひんやりと秋の空気に冷やされる。
その塩梅がまた新鮮味を覚えた。
「はぁ…気持ちいい」
「だろう?」
「外が涼しいからいつまででも入っていられそう…これ一度入ったら出られなくなっちゃうかも…」
「はは。確かにな」
浴槽の壁に背を預けて微睡む蛍を、同じに湯船の段差に腰かけた杏寿郎が縁で頬杖をつく。
からりと笑う杏寿郎に目を向けた蛍は、ぱちりと瞬くと──ふいと顔を逸らした。
「蛍?」
「ん。このお風呂、個室用なのに凄く広いね」
「ああ、まぁ。二人で入るには十分な広さだと思うが…」
檜の香る木目の浴槽は、雨を凌ぐ為か屋根の下に設置されている。
故に浴槽の中なら蛍も自由に生き来できる。
腰を上げいそいそと広い浴槽の端まで進む蛍の背中を見送りながら、杏寿郎は頬杖をついたまま頸を傾げた。
背を向けているため、髪をまとめあげた白い項がよく見える。
じんわりと火照っているのは熱い湯の所為か。
「蛍」
「なぁに?」
「折角一緒に入っているんだ。そんな離れた所に行くことはないだろう。おいで」
片手を差し出し呼べば、振り返りはしたものの中々歩み寄ってこない。
寧ろ恥ずかしそうに頸を竦めて、またもや視線を逸らされてしまった。