第32章 夜もすがら 契りしことを 忘れずは
「すごい…かな」
「そうだとも。立場を変えて考えてみればわかる」
「立場?」
「つまりは人間である俺が、鬼の食事を称賛することと同じことだ」
「…想像つかない」
「だろう?」
鬼の食事すなわち、人の死。
同類となるものを食べることを絶賛するなど、例え杏寿郎ではない他の誰かでも想像などつかないことだ。
それだけ異端で、異様な行為。
「…やっぱり私は、鬼にとって異様なのかな…」
「はき違えるな、蛍。君が異様ではない。世に蔓延る悪鬼が異様なんだ」
俯きかける蛍の顎を片手で掬い、ゆっくりと持ち上げる。
「鬼という生き物が最初から存在した世の中なら俺も受け入れただろう。鬼太郎少年のように。のびあがりだってそうだ」
杏寿郎は妖怪種族を目の前にしても怖がる素振りは見せず、在るものは在ると受け入れていた。
それが例え人間に害を及ぼしたのびあがりであっても。
「しかし悪鬼は違う。元は人間だった。それらを鬼舞辻無惨という己の欲しか考えない元凶が悪鬼へと変えたのだ。存在自体が世の理を超えるもの」
「…鬼自体が異様?」
「そうだ」
柔らかな頬を滑るように掌で撫でる。
間近に蛍の顔を映す杏寿郎の瞳は微睡むように優しい。
「君が異様なものか。本来の自分を忘れていないだけだ。人間であった頃に持ち得ていた機能。抱えていた感情。何ひとつ可笑しいことなどない」
その瞳の中に映されるだけで、全てを許されているようだった。
己の存在が何一つ間違ってはいないと、肯定されている気持ちになれる。
「そして他の鬼には成せていないことを成せている。それだけ凄いことを成しているのだと、君は胸を張っていいんだ」
「…うん」
綻ぶ表情を同じに和らげ、恥ずかしそうに蛍は小さく頷いた。
ほっと緩やかな吐息をついて視線を巡らす。
「じゃあ…あの。私、やりたいことがあるの」
「ん?」
人と同じ食事は必要ない。
睡眠も杏寿郎が必要としなければ蛍自身も無くても困らないものだ。
ただ一つ、この部屋に来てから気になっていることがあった。