第31章 煉獄とゐふ者
「あっ鬼太郎くんっ」
止めるような言葉は続かない。
しかし伸びた手は何かを語りたい意思の表れだろうか。
「何?」と振り返った視線だけで鬼太郎が問えば、蛍は伸ばした指を握り込んだ。
「また…会えるかな」
妖怪種族に近い幽霊族は寿命はあっても人間より遥かに長い。
初めて知った"鬼"という存在である蛍もまた、父の反応を見ていれば同じような命の残量を蓄えているのだろう。
人間から見れば長い長い時を生きる。
その中を歩み続けるなら、また何処かで世界は交わるかもしれない。
「言っただろ。見えてる世界が全てじゃない。見えないものもいるんだ」
ふと口角を緩めた鬼太郎の視線が、蛍越しの背後を見つめる。
「ほら、君の後ろの暗闇に──」
「ひぇ」
す、と指差す先は蛍ではない。
後ろは茶店。其処には杏寿郎が立っているはずだ。
なのに静かに淡々と告げる鬼太郎の姿は朝日に照らされながらも、逆光で濃い影を落とすようで。
ぶるりと体を震わせた蛍は反射的に振り返った。
「む? 話は終わったのか?」
やはり其処にあったのは遠目に見える茶店。
そして其処で待機している杏寿郎だ。
背筋を寒くさせるようなものは何もない。
ほっと一息つきながら、なんでもないと頸を振って蛍は鬼太郎に口を尖らせた。
「もう。私が怖がりなこと知っててそういうこと言う…」
些細な事では物怖じしない大人びた性格をしているが、悪戯好きなところもあるのかと。
「……鬼太郎くん?」
そう告げようとして、蛍は目の前の光景に頸を傾げた。
つい先程まで目の前にいた。幼い少年と薄っぺらな木綿、そして目玉の小人は何処にもいない。
(行っちゃった…?)
蛍の目には町を行き交う通行人しか映らない。
まるで最初からその場に彼らなどいなかったかのように、静かに起き出す町の朝の空気だけが流れていた。
「鬼太郎くん…」
別れの言葉さえも言えなかった。
途方に暮れたように佇む蛍の頭が俯く。
──からん
俯く耳に届いたのは、聞いたことのある下駄の音。
それは蛍のすぐ目の前で鳴り響いた。