第31章 煉獄とゐふ者
はっと顔を上げる。
蛍の目に見えたのはやはり顔も知らない人ばかり。
けれど耳に残る小気味良いあの下駄の奏では、確かに少年のものだ。
姿は見えない。
声も聴こえない。
匂いも感じない。
それでも確かに瞬く瞬間まで"そこ"にいた。
いないようで存在している。
見えなくても確かに在るもの。
「…見えてる世界が、全てじゃない…」
別れの言葉は告げられなかったが、出会いの形から去り際までなんとも彼ららしい。
自然とそんな感情に至って、蛍は頬を緩ませた。
白い木漏れ日のような朝日の下で。
ひらりと手を振り呼びかける。
「またね」
さよならは言わない。
いつかまた同じ世界で出会う日を思い描いて。
先程よりも遠い遠い、朝日も届かない町中の影の奥。
僅かに残る暗闇の中で、もう一度だけ。
からん、と下駄の奏でが呼応した。