第31章 煉獄とゐふ者
「蛍さん、言いましたよね。怪我をした時に」
「え?」
『血が──』
『私は大丈夫。だから言わないで』
のびあがりとの戦闘時に怪我を負った時のこと。
肩を負傷した蛍に目を止めれば、即座に大丈夫だと突っ撥ねられた。
自分の血なら大丈夫だと。
そう告げる蛍の姿は、凡そ人間のようには見えなかったのだ。
鋭い牙と縦に割れた瞳孔を見せながら、それでも何かに耐えるようにして告げていた。
「自分の血なら大丈夫だって。それは、こういう意味だったんですか」
自分の怪我ならば一日も経たずに治る。
その体質を持つが故の発言だったのだろう。
そう解釈した鬼太郎が告げれば、蛍はすんなりとは頷かなかった。
「あー…うん…それもある、かな…」
「それも?」
歯切れ悪く返す蛍の顔は笠でよく見えない。
否、自ら深く被せ表情を見せないようにしているようにも見えた。
「蛍。此処なら日陰だ。笠を外しても問題ないだろう?」
そこへ隣に座っていた杏寿郎が静かに告げれば、蛍の顔が上がる。
確かに大きな番傘が屋根代わりとなっている縁台は日陰だが、陽光が命取りならばそんな小さな日陰で大丈夫なのか。
「いえ、無理に取る必要は──」
ない、と鬼太郎が告げる前に、蛍はするりと笠の顎紐を解いた。
笠を外して膝に置く。
ただそれだけの行為であるのに、何故か動作はゆっくりと進むように見えた。
それだけ蛍が慎重に行動しているのか。
鬼太郎自身が妙な緊張を覚えたからか。
笠の下から現れたのは、見覚えがあるようで見覚えのない顔。
本来の蛍であろう、女性の顔をしていた。
「ほう。それが蛍ちゃんの素の姿なんじゃのう」
『蛍ちゃんの素の姿!? ってもしンゲッ!!』
「一反木綿は出てくるな。まばらでも人はいる」
『やけんって鬼太郎しゃん、足蹴りせんでもよかとに…』
興奮したような声から、しおしおと枯れた声。
感情が手に取るようにわかる一反木綿は縁台の下に隠れている。
朱色の布が被せられた縁台の下から顔を出そうとした木綿は、素早く重い下駄の一撃を喰らってしまった。