第31章 煉獄とゐふ者
蛍の嗅覚が優れているのは鬼であるため。
しかしそんなことを知らないふくは、羞恥を覚えて身を竦ませた。
自分の腕の匂いをあたふたと嗅ぐふくの姿に、思わず蛍の頬が緩む。
「大丈夫ですよ。変な匂いじゃないですし」
「で、でも…お弁当の匂いが染み付いてるなんて…」
「それだけ一生懸命お仕事を頑張っていた証でしょう? 立派なことだと思うけどな」
「立派…」
「はい。購入させて貰ったお弁当を、とある鉄道の整備士の人達にふるまったんですが皆美味しいと喜んでくれました。食べることは、人にはなくてはならないものだから。その食事で他人を笑顔にできるのは、素敵なことだと思います」
人間であった時は、日々の食事に感謝はすれど食べることの意味まで重要視したことはない。
鬼になったからこそ知ることができた。
日々欠かせない「体を作るものを味わい得る」という行為がどれだけ大切で、大きなものかを。
「ね」
握った手を緩く持ち上げ微笑む。
蛍のその表情に、ぱちりと丸い団栗眼を瞬いて──じわりと頬は再び熱を持った。
「ぁ…ありがとう、ございます…」
かかか、と再び顔を赤くさせてふくが俯く。
相手は女性だと理解したはずなのに、顔の熱は退かない。
杏寿郎に誠実な言葉を貰った時、胸は温かくなったが顔は熱くなどならなかった。
なのに何故。
「ぁ…あの…そろそろ、手を離してもらえますか…」
「あっごめんなさい。べたべたと。女同士でも気持ち悪いですよね」
「い、いえ。そんなことないです。それより…」
「それより?」
「いえ! な、なんでもないですなんでもッ」
ようやく解放された両手を顔の前で左右に振りながら、ふくは逃げるように顔を背けた。
耳までじんわりと赤いその様に、蛍は答えを見つけ出せず頸を傾げる。
「っよもやよもやだ…!」
「…はぁ」
蛍が女だと知る前と全く同じふくの照れ様に、その答えを見つけたのは杏寿郎と巽だけ。
ぴしりと笑顔を固まらせて声を上げる杏寿郎に、再び巽は己の顔にぺちりと掌を当てて溜息を零すのだった。