第31章 煉獄とゐふ者
ぽかんと口を開け、まあるく開いていたふくの目が瞬く。
一度、二度と瞼を落として、暗い瞳は静かに煌めいた。
「…ふく」
「はい?」
「ふくっていいます…あたしの名前。一度だけ、呼んでくれましたよね」
「あ。はい」
丁寧な物腰の口調だが、鬼と呼ぶべき相手には鋭い重みのある声を発していた。
杏寿郎のような無骨な手をしていないが、ふくを離すまいと抱いたその手は有無言わさない強さを持っていた。
作業員のようなツナギ服姿だというのに、立派な隊服姿の刀を携えた男達よりも胸が疼く。
その下にある強さも優しさも、間近で感じてしまったからだ。
「お兄さんのお名前、訊いてもいいですか?」
じんわりと頬を赤らめ、視線を反らして問いかける。
ふくのその姿に今度は蛍がきょとんと目を向ける番だった。
「ぁ…ええ、と…俺は彩千代っていいます」
「彩千代、さん」
「はい」
「その…下の名前も、訊いてもいいですか…っ」
「え。」
ぽりぽりと指先で額を掻きながら告げれば、更にかかか、と少女の顔が赤く染まる。
そんな反応で思い出すのは恋の肩書きを持つ柱、甘露寺蜜璃だ。
恋に恋する少女のような蜜璃の姿と一瞬重なって、思わず蛍は二度見した。
(え…いやいやいや。え?)
杏寿郎程の勘の良さは持ち合わせていないが、自分が大変に鈍い方だとも思っていない。
蜜璃に重ねれば安易にその答えも見えてくる。
じわりと指先で掻く額に変な汗が浮かんだ。
吹き出す汗につられて罪悪感のようなものも湧いてくる。
いたいけな少女になんという顔をさせているのだろうか。
「ぉ…俺は」
「杏寿郎だッ!!」
「…え。」
「は?」
「…炎柱」
どうにか口を開いた蛍を遮ったのは、白む夜空に響くような大きな声。
思わず固まる蛍とふくに、ぺたりと己の額に片手を当てたのは巽だった。
「俺の名は煉獄杏寿郎という! よろしく、弁当売りの少女!」
「わ…っ」
ずいっとふくの前に進み出た杏寿郎が、訊かれてもいない名前を叫び、頼まれてもいない固い握手を交わす。