第31章 煉獄とゐふ者
「はぁあー…っ」
ようやくそこで、脅威となる鬼が消えたことを実感したのか。力が抜けたようにふくが座り込んだ。
「まだ信じられない…」
微かに震えが残る掌をぎゅっと握り締めると、眉を八の字に下げてトミを見つめる。
「ごめんなさい、おばあちゃん。鬼がいるわけないなんて言って…」
説明はされずとも、自分を襲った者が人成らざる者だということは感じ取れた。
そしてこの刀を持つ男は、そういう者から人々を守る為にいるのだろう。
「はははは! いや、それでいいんだ!」
か細いふくの声と不安を吹き飛ばすように、活気良く笑った杏寿郎が笑顔で頸を横に振る。
「鬼を知らず、遭遇もせず。それで天寿を全うできるなら、それが一番だ!」
鬼を知らずに生き抜くことこそが一番なのだと肯定された。
明るい笑顔と笑い声に、つられてふくの口角も自然と上がる。
初めてその強く印象に残る容姿や声を目の前にした時は足が竦んだが、今ではそんな気もしない。
杏寿郎が闊達よく笑えば、不思議と安心できた。
(あっ)
安心感を覚えたのは一人だけではない。
何より強く抱きしめてくれたあの腕は、ふくの泣きそうになる心を支えてくれた。
「ぁ…あの…っ」
どうにか足腰を踏ん張って立ち上がる。
振り返り足を向けたのは、改札の中に入り壁に背を預けて座り込む蛍だった。
「怪我、大丈夫ですか…っ?」
「ああ、はい。大した怪我じゃないですから」
「そんなっ血だっていっぱい出てるのにっ」
おろおろと触れそうで触れられない手を彷徨わせるふくに、蛍は苦笑混じりの笑顔を返した。
目も足ももうやがて完治する。
しかしふくにそれを説明すれば、また困惑を招くかもしれない。
「ええと…これは、騙し傷のようなもので」
「騙し傷?」
「相手の油断を誘う為に、血のりで怪我のように見せていただけです」
「そ…そうなんですか?」
「はい。だから目も、ほら」
「ぁ…!」
ゆっくりと瞑っていた右目を開く。
擬態をかけて黒い眼球を作り出したそこに、ふくは驚きと安堵の目を向けた。