第31章 煉獄とゐふ者
鬼である蛍よりも、人間である彼らの方が体の使い方を知っていた。
己の体を熟知し、最善の行動を瞬時に弾き出し、それを形にできるだけの太い意志がある。
(この鬼にはそれがない)
常人では捉えられない素早さと異常な再生能力を持つが、それだけだ。
荒げる声に圧を感じなかったのは、この男の浅さ故だろうか。
「あんたは他人より少し足が速い。それだけだ」
淡々と現実を突き付ければ、びきりと悪鬼の顔に青筋が浮ぶ。
「好きに言わせておけば…ッ鬼狩りに付いてる糞風情がァ!!」
ふくの腹の底を震わすような怒号だった。
小さな悲鳴を上げて体を縮こませるふくを、囲うように強く抱いて背を向ける。
無防備な蛍のその背に悪鬼の爪が突き刺さる──瞬間。
ドッ!
衝撃は蛍の背よりも早く、悪鬼の腹部を襲った。
「ガは…!?」
ごぽりと悪鬼の口から赤黒い血が吹き出る。
見れば、腹部に黒々とした鉈のように大きな刃物が深く突き刺さっていた。
ぐにゃりと歪み曲がっているそれは見覚えがある。
蛍の足場の影だ。
「それは昨夜傷付けられた女性の分」
告げる蛍の声に、初めて憎々しげな感情が色付いた。
影は柔軟に曲がり即座に悪鬼の腹部から退く。
口元を片手で覆いながら悪鬼が目で追えば、それは蛍の足場から薄く細く伸びた影が、いつの間にか背後を取っていた。
(こいつ最初から…ッ)
煽るような言葉を淡々と並べていたのは、この影の異変に気付かせない為か。
「私は逃げるとも言ってない」
対峙する緋色の鬼の眼が、より鮮やかに血を纏う。
きりきりと縦に割れた瞳孔は更に鋭さを増し、蛍の足場の影が感情を模すようにざわりと波立った。