第31章 煉獄とゐふ者
「待っ…おばあちゃんが…!」
「あの鬼はふくさんを狙ってる。此処から離れた方がお祖母さんを守れる」
「っ…」
「俺の足から逃げ切れると思ってんのかァ!!」
まだ暗い線路へと飛び降りれば、着地の瞬間左足に響く激痛に蛍は顔を歪めた。
どうにか走れるまで回復はしたが全快ではない。
この足では悪鬼の言う通り、逃げ切ることは不可能だ。
「お、下ろしてくださいッ」
「駄目、下ろせない」
「でもあなた足が…っ」
「大丈夫」
同じに線路へと跳んだ悪鬼が飛び掛かってくる。
線路の中央で足を止めた蛍は、ふくを姫抱きした腕に力を込めた。
「揺れるから口は開かないで」
鋭い爪を振り下ろす悪鬼に、完治した右足を軸に蛍は右肩を後方へと下げた。
擦れ擦れでふくの目の前を鬼の手刀が空を切る。
肩を下げ、反転し、腰を反らして、半歩跳ぶ。
最低限の身のこなしで次々と打ち込まれる悪鬼の手刀を蛍は避け続けた。
「しゃらくせェ…ッ!!」
あとほんの数㎝の距離が届かない。
苛立たしげに声を荒げる悪鬼の額にぶちぶちと血管が浮かぶ。
反して蛍は冷えた表情のまま、決してその目を悪鬼から離さなかった。
(初動の速さなら胡蝶の方が速い。見える)
虫柱の肩書きを持つ胡蝶しのぶ。
その突きの速さは柱随一と言われている。
しのぶは蛍の鍛錬の相手をしなかったが、手加減のない拷問を受けていたからこそわかる。
剥き出しの敵意を向けられたからこそ、配慮のない手捌きを受けていた。
「っはァ…くそが…!(なんで当たらねぇ…!)」
「…あんたは自分の体を過信し過ぎてる」
鬼でありながら息を乱す悪鬼に、蛍は乱れのない呼吸を整え静かに告げた。
「どんなに素早い身のこなしができても、それ以外が素人だ。錬磨して体を鍛えた相手とは天と地の差がある」
杏寿郎にも、天元にも、実弥にも。組手で何百回、何千回と負けてきた。
本来なら鬼である蛍の方が体力も持続力もあるはずだというのに。
気付けば息は乱れ、膝は震え、急所に敗北の一打を喰らっていた。