第31章 煉獄とゐふ者
杏寿郎に両腕を切断された時は、一瞬の痛みはあったもののそこまで長引きはしなかった。
しかし骨を砕くような骨折は鈍く強い痛みを伴い、悪鬼の口から濁った悲鳴が落ちる。
「逃がさないと言った」
それは悪鬼のすぐ傍に立っていた。
悪鬼の手首を下から支え、腕の間接に叩き込んだ拳をそのままに冷たく息を吐く。
「ぁ…(あの時の…!)」
腰を抜かしたようにその場に座り込んでいたふくが、驚きながらもその男の姿に目を止めた。
出会いは一度だけだが昨日の今日だ。忘れるはずがない。
ぽたりと顎から滴る血は、まるで両目から滴っているかのように顔を塗り潰している。
鬼に打ち込んだ拳も、片膝を付き立つその足も真っ赤に染まっている。
「テメェ…ッそっちが本体ってワケか…!」
幼い子供の姿ではなく、成人男性の姿をした蛍に悪鬼が手を振りほどき声を荒げた。
そうして対峙した蛍の姿に、同時に疑問を抱く。
「お前からは血の匂いがほとんどしねぇ。大した量も喰ってないんだろう」
だから小さな少年の姿をして飢えを凌いでいたのだと思っていた。
鬼狩りと共に行動しているのなら、人間を喰らう行為も制限されている可能性がある。
なのに何故動ける。
「両目も両手足も潰したはずだ。なのになんだ、お前のその姿は…ッ」
鋭い刃のような爪で両目を、手足の腱を切ったはずだ。
そうして動けなくなった腑抜けな体を放り捨てて駅へとやって来た。
もうすぐ朝日が昇る。
身動きの取れない体は陽光によって消滅するだろう。
そう踏んでのことだ。
あれから精々一、二分しか経っていない。
なのに何故もう動けるのか。
自分程の再生力を持ち合わせているようには見えないというのに。
「いちいち説明する気はない」
驚きを隠せない悪鬼に尚も冷たい敵意を向けると、蛍は口角に溜まる血を拳で拭い、ぺっと赤い唾を吐き捨てた。
右目は瞑ったまま、赤く縦に割れた左目で悪鬼を睨み付ける。