第31章 煉獄とゐふ者
少年を殺そうとした瞬間、杏寿郎の刃が一瞬悪鬼の速度を上回った。
油断していたのも敗因の一つだが、此処で足を止めてしまえばあの鬼狩りに追い付かれる可能性もある。
目障りな小鬼だが脅威にもならないと、悪鬼は疾走する足を止めずに怒鳴り散らした。
「そうしてみっともなく金魚の糞になるしか俺の足について来れねぇじゃねぇか!!」
「ッ…!」
ギュォオ!と風が聞いたこともない呻り声を上げる。
更に加速する悪鬼は突風の如く線路の上を駆け抜けた。
常人の目ではその形を捉えることすら不可能だろう。そこに噛り付いたまま蛍は呼吸もままならない風圧に耐えた。
此処で逃してなるものか。
鬼は人間を喰らう。
それが人間だと認識するだけで口の中は唾液が溢れ、滴る血肉は極上の匂いとして誘ってくる。
それを知っているからこそ鬼が人を喰らうことを真っ向から全て否定はできない。
しかしこの鬼は違う。
人間に恐怖を植え付けることを前提に殺しを楽しんでいるのだ。
例え命は奪わなくとも、一生消えない恐怖を植え付けられればそれでいい。
そう嗤った鬼の顔と言葉は蛍の脳裏に焼き付くように怒りを残した。
この鬼は人間の世界にのさばらせてはいけない。
此処で必ず止めなければ。
その思いが蛍の体を自然と動かしていた。
「チィッ! 小賢しい…!」
どんなに速度を上げても小さな体は少年とは思えない強い力で食らい付いてくる。
幼い体をしているが、これも鬼なのだ。
苛立たしく舌を打った悪鬼は、不意にくんと鼻を鳴らした。
(この臭い…!)
探していた悪臭を見つけたのだ。
小鬼を引き剥がす為に駆け抜けた線路の道は、瞬く間に昨夜の町へと辿り着いていた。
「生憎だが俺の獲物はお前じゃない。ここでッ見切り付けさせて貰うぜェ!!」
「──!」
ドンッ!と勢いよく振り下ろした足が線路の枕木を叩き割りめり込む。
急な強制ブレーキにしがみ付いていただけの蛍は踏ん張りが付かず、ふわりと宙に浮いた。