第31章 煉獄とゐふ者
尻尾を掴ませない為に人目を避けていたのではない。
悪鬼にとってはどちらでもよかったのだ。
人目についていようが、ついていまいが。
見られたのならその全てを傷付け、殺すまで。
「…ひとを…なんだと…」
「あ?」
思っているのか。
鋭い犬歯で食い縛る蛍の声は、悪鬼には届かなかった。
「昨夜の被害者も俺達が迅速に処置した。傷跡も残らず回復するだろう」
蛍の渦巻く気配の波を感じながら、杏寿郎が一歩前へと進み出る。
悪鬼の視線が、視界にも目立つ杏寿郎へと変わった。
「ハッ! 例え生き延びたとして、そいつは恐怖に一生支配されて生きていくだろうよ」
「そうはさせん。癒し難き心の傷も、我々が長い時間をかけて手当てしていく」
「へっ…その正義感面に目に物を見せてやろうか。その女、もう一度殺しに行ってやる!」
「彼女の身柄は隠している。お前に見つけ出すことは不可能だ」
悪鬼は執着を見せる鬼だった。
その性格が、命を奪うぎりぎりまで人間を残虐に甚振る趣味に繋がっているのだろう。
顔を歪ませる蛍とは違い、どう吐き捨てても杏寿郎の気配は乱れない。
苛立たしげに舌を打つと、悪鬼の目は悪臭を放つ散乱した弁当の残骸に止まった。
「…じゃあその弁当売りだ」
「俺とは関係のない人達だ!」
鼻が曲がるような弁当の悪臭は、目の前の鬼狩りにも染み付いている。
十中八九、この弁当は鬼狩りが持ち込んだものだ。
悪鬼のその推測は当たっていた。
「知り合いなんだろう? それ駅弁だろう。何処かわかるぜ」
「ッ」
「動くな!」
弁当売りに狙いを変えれば、杏寿郎の声に鋭さが増す。
更に一歩、深い姿勢で踏み出そうとした杏寿郎を、盾にした少年を掲げて悪鬼は阻んだ。
体に食い込んだ爪で体を持ち上げられた少年が、息も絶え絶えに呻る。
「やはりお前は不愉快だ…!」
「こっちは愉快だぜェ!」