第31章 煉獄とゐふ者
「俺の声が聞こえなかったのか? 少年を離せと言っている」
先程よりも低く、威圧を放つ声。
ちりちりと肌を逆撫でするような声の圧に、悪鬼は口元を歪ませ嗤った。
「それは聞けねぇ話だ。…お前も不味そうな血の臭いがするぜ、小僧」
「ぅう…!」
優しく声をかけながら、その爪は更に深く少年の胸へと埋まっていく。
「美味そうな人間は喰っちまうが、不味い奴は夜通し傷付けて楽しむんだ」
「…そういうことか、切り裂き魔」
ほぼ確信はしていたが、その言葉が決定打だった。
巽から聞いた切り裂き魔の情報と同じ。
この悪鬼こそが町の人々を襲っていた切り裂き魔だ。
「先程から逐一俺の神経を逆撫でする。不愉快な奴だ」
「へぇ、そいつは…」
くん、と更に杏寿郎の親指が鍔を押し上げ抜刀を促す。
その気配にいち早く気付いた悪鬼は、ぼぅ、と体中の青い模様を鈍く光らせた。
「悔しかったら俺を…斬ってみろよッ!!」
ドンッ!とその場から放たれる空気の波動。
それは悪鬼の駆け抜ける足から放たれたものだった。
垂直に、斜めへ、体を捻り、反対へ跳ぶ。
まるで壁へぶつかり跳ね返るコマの如く、悪鬼は少年を抱えたまま目にも止まらぬ速さでその場を駆け抜けた。
「な…ッなんなんだ…!」
「ひぃ…化け物ッ!!」
常人の目では追えない悪鬼は、まるで突風のようだった。
杏寿郎の隣を駆け抜けては羽織を吹き上げ、蛍の後ろを駆け抜けては髪を飛ばす。
体中の青い模様が悪鬼の足跡を辿るように、残像となって青い光の道が一瞬残る。
次々と青い光が辺りを舞う様に、男達は悲鳴を上げて逃げ出した。
ただ一人、親方だけが後退りして壁に背を預けると、腰を抜かしたように唖然と立ったまま。
「俺を止められた奴はいねぇ」
杏寿郎の背後を取って一度止まった悪鬼が、再び地を蹴る。
「俺がッ一番ッ速いッ!!!」
背後へ迫り、上空を飛び、手前へと落ちる。
その瞬間を狙って抜刀した杏寿郎が斬りかかった。
しゃりん!と鞘から抜けた刃が呻る。
しかし悪鬼と対照的な赤い刃はその身を切り裂くことなく、空を振りかぶった。