第31章 煉獄とゐふ者
杏寿郎の金輪とは違い、濁ったような毒々しい金の眼。
しかし杏寿郎が動きを止めたのは、鬼を目にしたからではない。
「ひ…ぅ…ッ」
鬼は杏寿郎の視界から隠れるように、一人の青年を盾にしていた。
青年と言っても巽よりも幼い、まだあどけなさが残る少年だ。
少年を盾にしているだけではない。
鋭い爪を持つ左手の親指はその頬に食い込み、右手は胸を鷲掴むようにして爪を深々と突き立てている。
じわじわとそこから広がっているのは少年の赤い血だ。
「タツ坊ッ!!」
「ぉ、親方ぁ…!」
蛍が駆け付けた後、整備士の男達もその場で足を止めた。
親方の声に応える少年は、この仕事場で最年少の少年だった。
「野郎…!」
「下がっていろ」
怒りを露わにする親方達を制して、杏寿郎が鬼へと呼びかける。
「少年を離せ」
「鬼狩りか…偉そうに」
杏寿郎の圧ある声も一蹴して、聞く耳を持とうとしない。
その姿勢だけで十分だった。
(あれが恐らく、切り裂き魔の鬼)
本来なら、最初に鬼との談判を求める蛍も口を開かなかった。
幼い少年の体から血を流させ、盾にして飄々と笑っている。
それだけで自分達が追っていたあの悪鬼だと悟ることができたからだ。
「おぇ…ッ! なんだ、この臭いは…!?」
悪鬼が不意に不快そうに嘔吐(えず)いた。
少年の食べかけか、足元に落ちているのは杏寿郎が持ってきていた牛鍋弁当。
そこに臭いの元を見つけた鬼は、不快で堪らないとばかりに足で弁当を踏み付けた。
強い上からの圧迫に、ぐしゃりと押し潰された弁当が土に塗れて飛び散る。
その様に、杏寿郎の目つきが鋭さを増した。
「鬼になってからこっち、人間の食い物が気色悪くて仕方がねぇや」
「…俺の知る人々が真心込めて作った弁当だ。聞き捨てならんな」
吐き捨てるような悪鬼の暴言に、杏寿郎の声にも重みが増す。
「不味いったら不味いんだよ。…なァ、お前もそう思うだろ?」
柱の放つ圧には目も暮れず、悪鬼の金眼が捉えたのはその背後に立つ少年──蛍だった。
呼びかける声はひやりと冷たく、しかし誘うように問いかける。
「なんだって鬼狩りなんかと一緒にいやがる」