第30章 石に花咲く鬼と鬼
姿は見えない。
しかし"そこ"だけ空気が振動して背景がブレて見えている。
明らかに何かがいる現象だ。
その妖怪には覚えがあった。
「道理で蛍だけを狙うはずだ」
「えっ何? 何が? 相手の正体わかったのっ?」
「父さんに聞いたことがある。その妖怪は見てくる対象によって大きさや姿を変える。相手が都合の良い相手であればある程、山のように大きくなることもできる妖怪だ」
「な…何、都合が良いって…」
「君はアレにとって都合が良いんだ」
だからこそ執拗に蛍だけを襲ったのだ。
蛍の傍にいれば幾らでも触手のように手を増やし、体を巨大化させることもできる。
「あの妖怪が好むのは相手の"恐怖"。蛍が怖がれば怖がる程、あれは力を付ける」
「ぇぇ…そんな…不可抗力な…」
鬼太郎にとっては恐怖の対象ではない。
しかし蛍にとっては最悪の相性を持つ妖怪だ。
恐怖というものは心持ち一つで払拭できる訳ではない。
物理的な力と精神力は必ずしも比例する訳ではないのだ。
「…一旦退く。空(ここ)では尚更分が悪い」
「だっだけど鼠さんはっ? 一反木綿も…!」
「っ…ならこれを掴んでいてくれ」
「えっ私が? だだ大丈夫かな…ッ」
「強く握っていれば問題ない」
蛍にちゃんちゃんこを握るように促せば、恐る恐ると鋭い爪を持つ手が霊毛(れいもう)を握る。
その手が血に濡れていることに気付いてはっとした鬼太郎は、今更ながら血の匂いを嗅ぎ分けた。
「血が──」
「言わないで」
群がる触手から逃げる際に己をも傷付けた結果だ。
蛍の肩の着物が裂けており、そこからじわじわと赤い染みが広がっている。
躊躇した鬼太郎の手からちゃんちゃんこの裾を握り取る蛍の力は強かった。
「私は大丈夫。だから言わないで」
互いの体を支え合っている為に触れ合う程に距離は近い。
そこで鬼太郎が感じ取ったのは、ふぅふぅと浅く息衝く呼吸。
見えたのは血のように赤い瞳。
瞳孔がきりきりと鋭く縦に割れている。