第30章 石に花咲く鬼と鬼
「お前…っ」
「お弁当、落とさないで下さいね」
「あ、ああいや…っていうかお前…!?」
「ふむ。悪鬼の気配はしなかったが。その身のこなしは一般市民ではないな」
巽を担いだまま隠が駅へと向き直る。
騒ぐ後方に目を止めることなく、片手で刀を握る杏寿郎が少年を静かに見定めた。
テンジのような、無害でありながら害を成す鬼はいた。
悪鬼の禍々しい気配を持っておらずとも無視はできない存在だ。
「俺が相手となろう」
両手で日輪刀を構える。
すぅぅ、と静めた呼吸を繋ぐ杏寿郎の肌を、滲み纏う微かな闘気。
後方の隠と巽を見ていた少年の右目が、初めて杏寿郎を捉えた。
「折角見つけた手掛かりだ。逃すわけには…いかないッ」
からん!と下駄が床を打ち飛び跳ねる。
初めて声を荒げた少年の手が、身に付けていたちゃんちゃんこを脱ぎ去る。放ったのは杏寿郎の真上。
目くらましのつもりか。
小さな子供用のちゃんちゃんこでは足止めにもならない。
視線を上げることもなく跳んだ少年を捉えていた杏寿郎の視界が、ふ。と。
一気に陰った。
「な…」
見えたのは、頭上を覆い尽くすような巨大な布。
小さな子供用のちゃんちゃんこが風呂敷のように広がり、杏寿郎の視界を埋め尽くさんと覆っていた。
しかし巨大化した布は重力でふわりと落ちることなく、生き物のように速度を増し突進したのだ。
向かう先は──
「蛍ッ!!」
振り返り張り上げた杏寿郎の声に、巽を担いだ隠が地面へとぴたりと掌を合わせた。
そこからどぷりと吹き出したのは真っ黒なタールのような影の波。
柔い布でありながら牙を剥くちゃんちゃんこに、影の波が押し流すように衝突する。
「なん…っえ…!? ほっほたる…!?ってお前…ッ」
杏寿郎の声と目の前の見たことがある血鬼術。
そこで初めて巽は己を担いでいる隠に悟った。
軽々と何十人分もの弁当と大の男を片手で担ぎ、瞬く間に駅の外まで距離を取る足を持ち、何より炎柱に時としてびしりと忠告できるのは。
「彩千代蛍…!?」
かの継子である鬼だからだ。