第30章 石に花咲く鬼と鬼
「鬼なんか知らない…ッいるわけないでしょそんなの…!」
向き合うふくもまた、一瞬驚き息を吞んだもののすぐさま顔を顰めて杏寿郎を睨み付けた。
「…ふく、おやめ。この人はきっと悪い人じゃあないよ」
そこへ売店から伸ばしたトミの両手が、そっとふくの肩に触れる。
やんわりと制するトミの声は深く、包み込むような優しさに溢れている。
それは向ける相手が最愛の孫であるふくであるが為だ。
思わずじっと隠は柔いトミの横顔を見つめた。
「…ごめんなさい…」
怒り震えていた肩が、トミに触れられることで静かに下がる。
声の端に微かな震えを混じらせながら、ふくは力無く視線を伏せた。
「このところ切り裂き魔事件のせいで、神経が張り詰めちゃって…」
例えそうだとしても、祖母の一言で初対面の相手に謝罪できるのはふくの素直な性格故だ。
ふ、と目尻を和らげると杏寿郎もまたその思いに沿うように声色を沈めた。
「今し方耳にしたところによると、貴女方は暗いうちから準備して我々の為に弁当を売りに来てくれるのだな…実にありがたい。そのような人々が傷付けられるようなことは、決してあってはならない」
深く頷き、決意を込めるように太い眉尻を上げる。
「安心するがいい。切り裂き魔は俺が片付ける」
先程の闊達な声は鳴りを潜め、澄んだ空のように通る声がふくの耳に届く。
帯刀に西洋の服。髪色も瞳の色も見慣れないものだ。
なのに不思議とその声に不審な思いは湧かず、ふくは丸い目を更に丸くして目の前の男を見つめた。
「あなた…一体…」
ただの一般市民が切り裂き魔を片付けられるはずはない。
帯刀しているとあれば、警察側の人間か。
しかし杏寿郎の持つ独特の空気にはかつて触れたことがなく、不可思議で筋の通った姿を今一度見つめる。
「では」
「ぁ…あのッ」
「ん?」
燃えるような羽織を翻し横切り去っていく。
杏寿郎のその姿に、はっと顔を上げるとふくは番重を手に呼び止めた。
「その…もし、よければ…お弁当買ってもらえませんか…?」
この駅内にいるのならば誰であっても相手は客だ。
恐る恐る、ふくにとって背一杯の姿勢で歩み寄る様に、振り返った杏寿郎はようやく快活に声を上げた。
「そうだな。では全部頂こう!」