第30章 石に花咲く鬼と鬼
「いただきます」
「…これは?」
手を合わせる巽の前で、同じに杏寿郎の机にも運ばれた蕎麦。
その傍らにことりと置かれた皿には、揚げたての大きなかき揚げが乗っていた。
「俺の奢りだよ」
「ありがたい!」
間髪入れずに礼を告げる杏寿郎に一瞥することもなく、店長は空いた席に座り新聞を広げる。
蕎麦を食している客など杏寿郎と巽の二人だけだ。
二人が味わっている間は己も休憩だと言わんばかりに、ばさりと広げた文字の並びに視線を落とした。
ずず、と熱い蕎麦を啜る。
鰹節の効いたつゆ出汁はほんのりと甘みがあり、優しく尾を引く。
そこに添えられた葱と大根おろしがさっぱりと後味をまとめてくれるものだから、次から次につるつると喉越し良く通ってしまう。
「美味い…! おやっさん、上野に店出したってやっていけるよこれ!」
一口目から伝わる美味さ。
思わず感嘆の声を上げる巽の口からは素直な感情なのか、杏寿郎に向けたものよりも砕けた言葉が褒め千切った。
「大きなお世話だよ」
そんな巽の感想にも何処吹く風。
背を向けたまま素っ気なく返す店主に、今度は杏寿郎が語り掛けた。
「親父さん、景気はどうかな」
砕けた巽の呼びかけとは違い、声色を抑えて静かに呼ぶその声に店主の溜息が応える。
「どう見えるね」
「悪いな」
「…この沿線で切り裂き魔ってぇのが出てる所為でめっきり人手が減っちまったよ。雇い人にも暇を出す始末さ」
広げた中報新聞。その一番大きな目につく見出しには【切り裂き魔また現る】との文字が綴られている。
「この間は汽車の車掌がやられたってよ。それに無限列車ってぇのが運行中止になっちまっただろ…噂じゃあな、四十人ばかり乗客が神隠しにあっちまったって言うぜ」
「ほう。物騒だな」
事件ばかりが乗る新聞には、重厚感のある蒸気機関車の写真も載っていた。
切り裂き魔の事件も無視はできないが、一度に四十人もの客を消した無限列車の事件はより不気味に民間の間で噂としても広がっていた。
運行中止となった今はぴたりと被害が止まり、それがまるで嵐の前の静けさのようだと。