第29章 あたら夜《弐》
手を取り合い、ゆっくりと歩み出す。
「…蛍」
「ん?」
「今見た顔は…その…千寿郎には、内緒だぞ」
「え、なんで。とっても可愛い顔してたのに」
「ぅ…だからだ。可愛いなどと大の男が言われては…」
「なんで? 千くんは笑ったりしないよ」
「それはわかっているが…その…兄としての威厳が、だな…」
一歩一歩進みゆく。
ぎこちなく告げる杏寿郎の横顔を見上げて、蛍は肩を竦めて笑った。
「杏寿郎って凄くお兄ちゃんだよね」
「む。凄く、とはなんだ?」
「ふふ。ううん、素敵だなって思っただけ」
幼い顔を知られることが恥ずかしいと思う程に、等身大な兄の心を持っている。
なんとも兄弟らしい、兄として極々当然の感情だ。
「わかるよ。私の姉さんも、時々背伸びしてたから。これはお姉ちゃんの仕事だから蛍ちゃんは遊んでいなさいって。私もうその時、十五だったのに」
「ほう。それは興味深い話だな」
「聞きたい?」
「ああ。聞かせてくれ」
あんなにもおくびにも出さなかった過去を語る蛍の顔には陰り一つない。
世間話をするように語る声に耳を傾けて、ふと杏寿郎は背後を振り返った。
煉獄家の塀が続く夜の道。
いつも一人で鬼殺に出立しては通っていた道だ。
しかし余り見覚えのない光景に感じるのは、こうして振り返ったことなど数える程しかなかった為か。
何百回と通った馴染みある道なのに、世界へ出向く時はいつも振り返らないようにしていた。
振り返っても、いつも其処には誰もいない。
身を案じてくれる弟はいても、見送ってくれる父はいない。
同じ鬼殺の道を歩んだ父の労いや励ましは一度だって貰えたことはなかった。
わかっているのだ。
わかりきっているからこそ、現実に目にしていたくなかったのかもしれない。
「……」
なのに今こうして振り返る道に、物寂しい思いは浮かばない。
握る掌の先の体温があたたかい為か。
耳に優しい声が奏でられている為か。
継子であった蜜璃と共に煉獄家を後にした時は、こんなにも穏やかで心地良い空気を感じはしなかった。
変えてくれたのはきっと──