第29章 あたら夜《弐》
「……」
「名残惜しいか?」
「うん…」
手を振って見送ってくれる千寿郎の姿が、煉獄家の塀の角を曲がり見えなくなるまで幾度となく振り返る。
そんな蛍に問いかければ、覇気はなくとも即答で頷かれた。
振り返していた手の行き場を失くすように、半端に蛍の腕が下がる。
隣を歩む杏寿郎は幾度も振り返りはしないが、その足取りはいつもよりゆっくりと進んでいた。
「楽しいことも大変なことも色々あったけど、本当にあっという間だった。…寂しいなぁ」
「俺は楽しいことの方が多かったがな」
「本当?」
「ああ。蛍のお陰で知らない父や弟の素顔が見られた。それらを知って初めて得る感情も幾つもあった。千寿郎の言葉を借りれば、目まぐるしくも充実した日々だったな」
「…千くんもそんなふうに思ってくれたかな」
「勿論だとも。千寿郎の目を見ればわかる」
それは兄と弟にしかわからない絆なのだろう。
真っ直ぐな笑顔で頷く杏寿郎に、その瞳はどんなものだったかと今一度蛍は何も見えない道筋を振り返った。
「千くん、もうおうちに入ったかな。ずっと外にいたら危ないだろうし」
「問題ない。要にきちんと見守らせてある」
告げる杏寿郎が顔を空へと向ける。
暗い夜空をゆっくりと旋回しながら飛ぶ相棒の姿に、うむと頷いた。
「安心しろ、蛍。千寿郎は無事家に戻ったようだ」
「流石お兄さん。抜かりないね」
「千寿郎は刀を握れないからな。万が一のことがあってはいけないからと、度々要の翼と目を借りることがある。…父上には通用しないが」
「なんで?」
「柱程の実力を持つ人だ。監視のつもりで鎹鴉を向ければ即座に見破られてしまう」
「成程…手厳しいね」
「だが今もその腕前は健在ということだ。父として誇らしい!」
「ふふ。それもそっか」
旋回する鎹鴉に、更に一羽が混じる。
慣れた様子で羽を並べて飛ぶのは蛍の鎹鴉の政宗だ。
千寿郎との距離を縮めた蛍のように、政宗も政宗でまた鴉同士の距離を縮めていた。
一筋縄ではいかない猛々しい性格を知っているからこそ、蛍も揃い飛ぶ二羽の姿に嬉しくなる。