第29章 あたら夜《弐》
すりすりと顔を摺り寄せ全身で感情を表現する蛍に、声を上げて笑う千寿郎。
そんな二人の姿を杏寿郎は目を細めて、深い笑みを称え見守った。
悪鬼からこの世を守ることを生業としているが、今目の前にある光景こそ何より守りたいものだと。
うむ、と頷くと空気を切り替えるように両手を伸ばす。
「では俺も! 理由などなく抱きしめていいだろうかっ!」
「わぁッ兄上…っ」
「んプっもう抱きしめてるよそれ…っ」
二人の足が地から離れる程に、両腕で抱きしめた二つの体を易々と抱き上げる。
蛍はまだしも、わたわたと腕の中で慌てふためく千寿郎にすぐに抱いた体を下ろす。
それでもぎゅっと腕の中に囲った体温は離さなかった。
「わははっすまん! 急にこうしたくなってな!」
「急、かなぁ…千くんとくっついてると高確率で突撃される気が…」
「ふふっ兄上もくすぐったいです…っ」
「仲良きことは良いことだ。俺もその輪に入れてもらえたらもっと嬉しいっ」
ぐりぐりと蛍を真似るように顔を押し付ける杏寿郎に、尚も千寿郎の賑やかな笑い声が上がる。
ふわふわの焔色の髪は瓜二つ。もふもふと真綿のように心地良いそこに顔を埋めて、蛍もくすりと口元を緩ませた。
「じゃあ帰ってきたらまた千くんと一緒に抱きしめてもらわないとね」
蛍が告げた「帰る」という言葉に、千寿郎の後頭部で結んだ髪先が揺れる。
さり気ない言葉のようで、そこに生まれた意味を汲み取って。
何度かその言葉を蛍の口から聞いたことはあったが、どこか嬉しそうな音色で告げられたのは初めてだった。
「っ…はい」
蛍にとっての〝帰る場所〟に、この家はなれたのだろうか。
「はいっ待ってます…!」
何度も頷き返す千寿郎の姿が、童磨激戦後に煉獄家の前で再開した時と重なる。
何度も何度も噛み締めるように告げてくれた「おかえりなさい」の言葉は、体に染み込むように馴染み、不思議と怪我の痛みを緩和させてくれた。