第29章 あたら夜《弐》
「蜻蛉の捕り方を教えた俺の話でもあるんだぞ、蛍。千寿郎だけの話とは聞き捨てならないな」
「じゃあ杏寿郎と千くんの話だね。聞きたい」
「…なんというか…その…姉上…」
「うん?」
体操座りをした両膝を抱いて、そわそわと目を向けてくる蛍の顔は期待に満ちている。
そんな蛍の姿に千寿郎が思わず兄を見れば、頷き笑われた。
「蛍は俺の過去話を聞くのも好きだったからな。色々話をさせられたぞ」
「させれられたって、心外な。楽しそうに話してくれたでしょ」
「うむ。あれは大いに楽しかった! 己の中にある思い出を語らうことで振り返られるのは存外楽しいものだな」
「ということで千くんの語りべを希望します」
「えっぼ、僕ですか?」
「うん。お兄さんとの赤とんぼのお話、教えてくれる?」
「そうだな! あれは俺が八歳の頃──」
「待って千くんって言ったよねっ?」
淡い秋蛍の光りに囲まれて、賑やかに語らうのは赤蜻蛉の話。
なんともちぐはぐな光景であるのに纏う三人の空気はなんとも楽しそうで、離れた場所から槇寿郎はそっと様子を伺った。
空には影雲。
視界には秋蛍。
息子達が挟んで囲むは鬼の女。
見渡す世界は、槇寿郎の常識からすればなんとも奇妙に外れている。
それでも思い出すは、あの真夏の青々とした山を景色に見た風景だった。
汗を掻き、声を上げ、遊びに興じる子供達。
その姿を肩にじんわりと愛おしい熱を感じながら見守ったあの日。
似てはいない。
重なりもしない。
それでも思い出したのは、確かに目の前にある風景が何気ない彼らの日常で、限りなく大切なものだと知っていたからだ。
杏寿郎にとっても、千寿郎にとっても。
そして彼らの最愛である、蛍にとっても。
(…──瑠火…)
人と鬼。
型は正反対な程に違うもの。
それでもあの鬼も、亡き妻も、たったひとつのものを懸命に抱いていた。
煩い程の蝉の合唱はない。
それでも聴こえてくるようだ。
己は此処に在るのだと、命を証明する声が。