第29章 あたら夜《弐》
「お前は鬼の過去を知る度にそこに同情するのか。柱などと名乗る癖に、足元の虫だけを見て森を殺すつもりか」
「…父上の仰る通りです」
木を見て森を見ず。
そんな立ち振る舞いをしていては柱は務まらない。
杏寿郎も十分に理解していた。
柱足るもの、目先の命だけを見ていては務まらない。
鬼舞辻無惨という諸悪の根源を滅する志を持たなければ。
それでもその目先の命にも躊躇なく手を伸ばす。
それが煉獄杏寿郎という人間だった。
森だけを見て、枯れる木を無視することが正義だとは思っていない。
この手が届くのならば若葉一つだって守り抜きたい。
(──だが今話すべきはそこじゃない)
回る頭は、今ここで己の本質を父にぶつけることが最善だとは思っていなかった。
そもそも槇寿郎が主張することと己の主張には相違がある。
「ただ俺は、蛍が鬼になった成り立ちを聞いて同情した訳ではありません」
蛍は決して簡単に話そうとはしなかった。
己の過去に蓋をして、今在る自分で向き合おうとしてくれた。
その結果が、杏寿郎の心を開かせたのだ。
「蛍自身が鬼に成った経緯を俺に話してくれたのも、強い決意と覚悟を持ってしてくれたことです。それをこの場で俺の口から伝える気はありません」
彼女のその覚悟を軽率に扱わない為に。
「ただ知っていて欲しいのです。蛍の人間としての尊厳を奪ったのは鬼舞辻無惨だけではない。同じ人間もそうだったと。そしてそれは、全て我欲に塗れた男達でした」
静かに語る杏寿郎の言葉が、いつかに蛍の口から聞いた言葉と重なった。
『姉の心と体を死に追いやったのは、底辺にいる女を人として扱いなどしない男達でした』
自分の姉は、人間に殺された。
思いを絞り出すようにして槇寿郎に語った蛍は、夜の縁側で向き合った姿だった。