第29章 あたら夜《弐》
人ならば温かさを感じる陽に肌を焼かれ、人智を超えた力でその場を御し、命尽きゆくような姿を晒しながらそれでも生きていた。
惨たらしいあの鬼の姿は、確かに己の手で下したものだったと。
「俺もそのことに気付くまで時間を費やしてしまいました…情けない話です」
「……」
「それでも気付けたからこそ声を大にして言いたい。我々は鬼殺隊です。父上が鬼を是認の心で見られないことはわかっています。それでも蛍に安易に刃を向けないで欲しい」
常に槇寿郎に対して丁寧な言葉遣いを努めていた杏寿郎が、初めて言い切るように願いを告げた。
「蛍の心を、これ以上鬼へと貶めないで下さい」
単なる感情論ではない。
それによって蛍の心が無機質なものへと貶められているのだと、はっきりと杏寿郎に告げられたのだ。
「それに…鬼である前に、蛍は一人の女性です。人であった頃は、無骨な男の拳によって傷付けられる怖さを身をもって知っていました。いくら体が癒えようとも、強くなろうとも、人から鬼に成り変わろうとも。その過去は消えません。蛍の中に在り続けているものです」
片手で捻り殺せるだけの相手だった。
今の蛍なら、一呼吸の間に急所を狙いとどめを刺そうとできるだろう。
それでも初めて与助を前にした時、蛍の体は上手く動かなかった。
膨張した怒りだけが血鬼術の姿を借りて暴走し、悪鬼の如く与助を喰らおうとした。
その間、本人は一歩も動けなかったのだ。
震える手で日傘を握り締め、早く殺してと縋るように血鬼術に怒りを吐露していた。
「鬼である彼女の心を搾取したのが我々であるように。人であった彼女の身体ごと搾取したのもまた人間です」
「……鬼が、」
そこで初めて槇寿郎が重い口を開いた。
「鬼になった経緯など、知ったところでどうする。俺達は今在るべきものを見なければならない。鬼が鬼になった理由など一つ一つ突き詰めていけば、己の足場を崩すだけだ」