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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第29章 あたら夜《弐》



 蛍の指が、舌が、ゆっくりとでもしかと紅を拭い取る。
 そこまで意図的に触れなければ、しっかり唇に引かれた紅も取れはしない。

 昼時に見た化粧もまた同じだ。
 丁寧に八重美が手伝い飾ってくれた化粧の一つ。転んだくらいで早々に取れはしないだろう。

 大きく擦れるように蛍の頬に走っていた紅の掠れ跡は、意図的に唇から頬までを何かが触れたからだ。

 それは恐らく転倒によるものではない。
 蛍が一人で転んだだけならば、多少ぶつけることがあったにしてもあんなにも粗雑な跡にはならないはずだ。


「まるで乱暴に扱われたような跡で、蛍の化粧は崩れ落ちていました」


 自然現象としては不自然過ぎる。
 あれは人の手が加えられたものだと、蛍の紅を拭う姿で確信したのだ。

 蛍自身が自分で崩したものならば正直に話すだろう。
 そこを避けたのは、庇う誰かがいたからだと。

 千寿郎は知らなかった。
 八重美も蛍が化粧を落としたことを残念がっていた。

 消去法でいけば辿るところは一つだけ。
 そもそも消去法にせずとも、杏寿郎の曇りなき眼は既に答えを見つけていた。


「…何が言いたい」

「単刀直入に言います」


 逃げることも躱す素振りもなく立ち続ける槇寿郎に、杏寿郎もまた目を逸らさなかった。


「蛍の化粧を崩したのは父上ですね」


 沈黙は一呼吸の間だけ。


「だとしたらどうする」


 誤魔化すことも嘘をつくこともなく、槇寿郎は真実を認め、そして跳ね返した。


「…何故蛍に手を出したのですか」

「それをお前に話す必要はない」

「何故ですか」

「俺とあいつとの話だ。既に内容も終わっている」

「内容は概ね予想がつきます。父上がこの場に俺や千寿郎と共にいてくれる。それが答えでしょう」


 穏やかに淡々と告げていた杏寿郎の声に、僅かに感情が芽生える。


「蛍の面目の為にも内容までは深く尋ねません。ただ何故手を出したのか、それが知りたい。蛍は父上の気に障ったのでしょうか」


 静かだが僅かに起伏を生み、向き合う杏寿郎の手が強く拳を握った。


「それは手を上げる程不快なことだったのでしょうか」

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