第29章 あたら夜《弐》
共に金輪に朱色の双眸が交じり合う。
片方は睨み付けるように、片方は真っ直ぐに捉えるように。
じっと無言で重なり合う視線。
そこに終止符を打ったのは杏寿郎だった。
「それは…言えません」
「…なに…?」
清廉潔白にも見える笑顔を浮かべたまま、さらりと杏寿郎は否定の言葉を口にした。
「言えないというよりも、言いたくありません」
「何故だ。人に言えない後ろめたさでもあるのか」
「後ろめたさは全くありません。ただ言いたくないだけです。…父上も秘密にしておきたいことはあるでしょう?」
「なん」
「母上とのことで」
瑠火の名が出た途端、ぴたりと槇寿郎の声が止まる。
「二人だけで大切にしておきたい想いというものがあるでしょう。それと同じです」
静かに語る杏寿郎の言葉に迷いはない。
元々息子の性格はよく知っている。
嘘をついていないことは目を見ればわかった。
同時に悟ってしまった。
杏寿郎が父と母に重ねた蛍との秘め事。
それがなんであるか、凡その予想はついた。
元々、蛍自身が千寿郎から体液を貰ったことがあると語っていたのだ。
血肉でない、それ以外のもので飢餓を抑えた。
その相手が杏寿郎となると、先の結果が槇寿郎にも見えない訳ではない。
「蛍にはこの話は内密にして下さい。彼女は恥ずかしがり屋なので、父上に知られたとなれば脱兎の如く慌てるでしょう」
「…お前は…それで、いいのか」
「何故そんなことを訊くのですか?」
息子の恋仲相手との情事の切れ端を知ってしまったことに羞恥や後悔はない。
ただ疑問だけが槇寿郎の頭を回っていた。
相手は鬼だ。
刀も所持しない、それこそ丸裸の身で向き合うことに恐れはないのかと。
「父上は、母上を好いた時に迷いはあったのでしょうか。そのひとと結ばれることに。これでいいのかと、自問自答したのですか」
「……」
穏やかに問う杏寿郎の言葉は、既に答えを知っているものだった。
愛するものをこの手にするとき。
何もかもを認めて抱き締めるとき。
そこに迷いなどあるはずはない。
そこに在るのは、ただただ相手を心から愛するだけの想いだ。