第29章 あたら夜《弐》
蛍自身は無惨に命を拾われたと言っていたが、杏寿郎は違った。
例えそうだとしても、蛍が人間の時に持っていたはずのものは奪われた。
口にした料理を美味と感じることも。
女性として子を宿す望みも。
同じ時を体に刻み生きることも。
人として当たり前にあったものを、全て根こそぎ奪われたのだ。
死から逃れる代償として、人の理を外れ死よりも長く苦しい道を歩むことを強いられた。
それを救いなどと呼べるはずはない。
「お前の決意など今更だ。耳が痛くなる程聞いた」
その真剣さは槇寿郎も既に知っていた。
今更否定する気もなかったが、安易に受け入れる気もない。
そうして躱した思考の隅で、ふと疑問を抱いた。
「…お前、」
「はい」
「あの鬼の飢餓をどうやって抑え込んだ?」
視線の先には、千寿郎と楽しげにクロマドボタルを鑑賞している蛍の姿がある。
千寿郎の腕に乗った幼虫を恐る恐る指先で触れては、小さな少年の肩にしがみ付いている。
その距離感からは目を離せないが、千寿郎を襲おうとする気配は微塵もない。
血に飢えた気配もまた。
「確かに別れる前は血に飢えていたはずだ。鬼が飢えを凌ぐ方法など、別の血肉で満たす他ない」
「…竈門禰豆子という、鬼殺隊で預かっているもう一人の鬼の少女がいます。蛍よりもずっと年齢も幼く、鬼となり言葉も話せなくなった者です」
「…いつから鬼殺隊は鬼の託児所になったんだ…」
「俺が把握している中では蛍と竈門禰豆子の二人のみ。その竈門少女は睡眠によって飢餓を抑えているそうです」
げんなりと溜息をついていた槇寿郎の眼光が鋭さを増す。
「お前は俺の話を聞いていたのか。その鬼の小娘のことなどどうでもいい。人を襲えば頸を斬るだけだ。それより俺はあの彩千代蛍という鬼のことを訊いている」
畳みかけるように、重く槇寿郎の問いが再度重なった。
「あの鬼は、何をどうして飢餓を抑え込めている。答えろ」