第29章 あたら夜《弐》
確かに蛍が己の今まで見てきた悪鬼と違うことは認められる。
柱となった杏寿郎をここまで言わしめた。
あの千寿郎が心から寄り添った。
それだけでも十分に槇寿郎の知る悪鬼とは違うと言える。
「…だとしても鬼は鬼だ」
「そうですね」
それでも、と絞り出した槇寿郎の否定は杏寿郎に見透かされたように肯定された。
「だからこそ蛍を苦しめるその〝鬼〟という概念から救い出したいのです」
思い出すように、杏寿郎が影雲で覆われた空を見上げる。
「蛍と初めて思いを重ねた夜に、彼女自身が言っていました。…"人を喰らいたい人がいないように、鬼になりたい人もいない。それでも一度鬼となれば、憎きものと判断されて頸を狩られる。そんな世が、人が怖い"と」
杏寿郎自身、鬼の姿をこの目で確認した時点ですぐさま斬首を行ってきた。
鋭い爪が誰かの体を傷付ける前にと。
牙を携えた口が開く前にと。
その口が、何を語るかなど考えたこともなかったのだ。
「我々は鬼殺隊です。悪鬼の頸は斬らなければならない。その世界を覆すことなど容易にはできないでしょう。そもそもそんなことをしてしまえば、鬼殺隊という存在そのものの地盤が揺らいでしまう」
しのぶや実弥のように、大切なひとを鬼の手により失くした隊士も大勢いる。
どれも杏寿郎の経験したことのない心の傷だ。
それを知った顔で口出しできる訳もない。
しのぶにも、実弥にも、そして蛍にもそれぞれの生きた軌跡がある。
その道を誰にも否定されず語れるのは本人だけなのだ。
「だからこそこの世界で蛍が前を向いて歩けるように。陽の下で笑えるように。人間へと戻してみせなければ」
この世は浮世。
それは人も鬼も変わらない。
「俺の手で」
だからと言って諦める気もない。