第29章 あたら夜《弐》
「なんだ。何も無いだろう。ただの林と湖だ」
鬱陶しそうに近くの木々を片手で払う槇寿郎に、蛍もまた辺りをぐるりと見渡した。
空を見上げれば月明り。
それ以外に光はない。
「多分、此処にいれば見られるかと…」
「何をですか?」
「え。っとね。…待っていればわかりますっ」
興味津々に問いかけてくる千寿郎に、説明したくなる衝動をぐっと耐える。
小さな肩を両手で握り、ほらと湖の方へと向け直した。
「見ていて千くん。島の周り」
「と言っても、何も見えませんが…木と水と草ばかりで」
「大丈夫。きっと」
力拳を握って力説すれば、頷いた千寿郎もまた辺りを見渡す。
「…姉上」
「ん?」
「もしかして昼間に八重美さんから貰っていたお手紙が、関係していますか?」
「なっ…何故それを」
「ふふっやっぱり」
「千くんは勘が良いね…」
「そんなこと。姉上がわかり易いんですよ」
「え。そ、そう?…駄目だなぁ…」
「いいえ。それだけ僕の目が気にならない程、一生懸命考えてくれていたんでしょう?」
くすりと小さな笑いを零して、千寿郎は背後に立つ蛍を頸を捻り見上げた。
「一生懸命な姉上、可愛いなって思うから。僕は好きです」
「かっ…」
幼い顔立ちでありながら、偶に大人びた表情もする千寿郎だからこそ。優しい瞳と素直な思いを向けられて、蛍の顔がほんのりと赤くなる。
「千くん…杏寿郎の言う通り、将来絶対有望だと思う…」
「有望?」
「女の子に人気出そうってこと」
「そんなこと…」
「ある。料理や家事の手先も器用だし。優しいし気配りも上手だし。加えて煉獄家ならではの芯を持った心も持っているし。寧ろ人気が出ない要素がない」
「そ、そうですか?…でも、僕は」
「?」
「将来はわかりませんが…今は、姉上に好いて貰えていたら…いい、かな」
恥ずかしそうに視線を逸らし、ぽそぽそと唇を尖らせる。
そんな千寿郎の姿に、蛍はがばりと小さな背中に顔を突っ伏した。
「そういう!ところ!!」
「え、ええっ?」