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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第29章 あたら夜《弐》



「姉上、朔ノ夜は人の言葉がわかるんですか?」

「うん。会話はできないけど、身ぶり手ぶりみたいなもので応えてくれるよ」

「本当ですかっ」

「話してみる?」

「えっ」


 そわそわと小さな朔ノ夜に顔を近付ける千寿郎に、はいと蛍が手を差し出す。

 躊躇ったのはほんの少しの間だけ。
 期待を込めた目で控えめに千寿郎は名乗りを告げた。


「僕は煉獄千寿郎、といいます。は、初めまして」


 ぺこりと礼儀正しい少年が頭を下げる。
 すると蛍の掌からふわりと離れた朔ノ夜が、千寿郎の周りをゆっくりと泳ぎ出した。
 丸い皿のような目はくりくりと千寿郎だけを追いかけ、その姿に巨大化した時のような不気味さはまるでない。

 それは少年心にも同じようだった。

 千寿郎が片手を出せば、幼い手の甲に浮いたままの朔ノ夜がふわりと乗る。
 子供のような歓声は上げないものの、始終笑顔で摩訶不思議な金魚を愛でる千寿郎。
 そして音もなく静かに寄り添う朔ノ夜。

 静かながら無邪気に戯れる一人と一匹には、兄も姉も微笑ましく絆された。


「千寿郎ッ! そんな得体の知れないものを近付けるな…!」

「っ父上…」


 ただ一人、父だけを除いて。


「血鬼術はそもそも人を喰らう為に生まれる術だ。その魚とて変わらん!」

「しかし父上」

「お前は黙っていろ! 俺はあいつに言っている!」


 今度は杏寿郎の声も槇寿郎の口を閉ざしはしなかった。
 槇寿郎が睨み付けるように指差したのは蛍だ。


「何を企んでいる。どんな魂胆でそんなものを見せてきた…!」


 隙など見せない厳しい槇寿郎の指摘に、蛍の背筋が伸びる。

 意味もなく見せた訳ではない。
 理由ならある。


「朔はただの道先案内人…魚、です。その子じゃないと連れて行けない場所だから」

「それは何処だ。勿体ぶらずにさっさと言えっ」

「それは…言えません」

「何故だ。後ろめたさがあるから隠すんだろうッ」

「違います」

「何が違う。ならそれ相応の理由を述べ」

「だって楽しみが半減するじゃないですかっ」

「……は?」


 思い切って口を開いた蛍から出てきた「それ相応の理由」。
 余りにも予想になかった言葉に、槇寿郎の勢いが一瞬削がれる。

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