第29章 あたら夜《弐》
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「月の近いところって…寧ろ人が近くないっ?」
「うむ。灯台下暗し!と言うだろう? 案外傍にいる方が気付かないこともある!」
「き、杏寿郎声っ誰かに聞かれたら…っ」
「なに、心配はいらない。周りは賑やかな祭りの最中。俺達の声は易々と届かないはずだ」
蛍を抱いたまま杏寿郎が迷うことなく足を向けた先。其処は祭りの場に近い大きな寺院だった。
祭りにも使われた神輿を祀る大きな建物は、今夜の目玉のように提灯で飾られ夜でも見事な輝きを見せている。
その建物に裏から回るようにして歩み寄る杏寿郎に、蛍はその腕に抱かれたままつい疑問の声を上げた。
目を奪われるような圧巻さだが、目立ち過ぎではないのか。
そう蛍が視線で訴えれば、杏寿郎は不安を吹き飛ばすように朗らかに笑った。
「案ずるな。本堂でもあるこの場を使うのは流石に気が退ける。俺の目的はその隣だ」
「隣?」
杏寿郎の視線につられて目線を横に向ければ、本堂からそう遠くはない所に小さな建物が見えた。
本堂に比べればこじんまりとした縦に細長いその建物は、凡そ人が出入りするような場所には見えない。
本堂とは違い、ライトアップもされていない建物はひっそりとその場に佇んでいる。
確かにその建物内ならば人の目からも情事を隠すことができるかもしれない。
「……」
それでも蛍は、杏寿郎の腕の中で身を竦ませた。
人気のない薄暗い寺院のような建物。
中は拝殿のみの造りとなっていた、花街の世界から切り外されたようなあの神社を思い出して。
『俺と、愉しいことをしよう?』
虹色の瞳を細めて笑いかけてくる。
童磨という鬼に体を弄ばれた、あの夜を。
「あそこならこの時間帯、人も寄り付くことはないだろう。それに此処なら祭りの場も近い。終えた後はすぐに千寿郎と父上とも合流できるはずだ」
「……」
「…蛍?」
京都の五重塔を小さくしたような細い建物の裏手に回れば、杏寿郎の衣服を引く力に気付いた。
僅かな力だったが、見れば蛍の手が胸元の掛襟をしっかりと握っている。
その目は杏寿郎も目の前の景色も映しておらず、まるで背けるように俯いていた。