第29章 あたら夜《弐》
至近距離で見返したその瞳にはっと我に返ったが、時既に遅し。
引っ込む機会を失ってしまった拳をそのままに、杏寿郎はごほんと咳を鳴らした。
「胸の大きさなど関係ない。それに俺は…蛍の、その胸が、好きだ」
「…ぇ」
いつもは闊達な舌を回さず、ぼそぼそと告げる。
杏寿郎のその言葉には蛍の頬も赤みを増した。
「さっきあんな業務的に瑠火さんの襟巻詰め込んできたのに…?」
「…わからないか?」
「え。わかりません」
顔色一つ変えず胸元を弄られるなど、体を重ねるうちに慣れでもしたのかと思っていた。
しかし蛍のその予想と杏寿郎の心持ちは違っていた。
「君の体を冷やさない為でもあるが、俺の為だ。着物が濡れたからと言って、あんな無防備に胸元をはだけさせていたら目のやり場に困る」
「……」
「…蛍?」
「…どきどきしてくれる、の?」
「当然だろう」
ぽかんと見ていた蛍の顔が、更にじんわりと感情で染め上がる。
即答で告げながら、杏寿郎は困ったように苦笑した。
「君は本当に、自分の体の魅力をわかっていないな」
「そ、そうじゃ…ないって言うのも可笑しな話だけど。だって周りにあんなに良い身体した女の子ばかりいたら…」
「そういうものか?」
「…杏寿郎だってそうでしょ?」
「む?」
「自分より顔立ちが良くて、体造りもよくて、柱としても実力のある──」
「いるな。宇髄や冨岡、不死川もそうだ!」
「そう…かな? 体格は天元ならまだしも、義勇さんや不死川とは…」
「悲鳴嶼殿も伊黒も時透も、皆俺にはないものを持っている。尊敬に値する人物だ!」
あっけらかんと笑顔で告げる杏寿郎の顔は、爽やかな程に曇りがない。
今はもう見ることの叶わない朝日を拝んでいるかのように、蛍は眩しそうに目を細めた。
「…そうだよね。杏寿郎はそういう人だった…」
「うん?…俺は変なことを言ったか?」
「ううん。百点満点の回答です」
がくりと頭を項垂れる蛍に、くすりと杏寿郎の眉尻を下げた笑みが深まる。
「俺にとっては蛍の回答の方が満点だが」
「どこが」
「そこだ」
「?」