第29章 あたら夜《弐》
(勿体ないことしちゃったな…)
折角静子の好意で頂けた貴重な稀血だったのに、と凹む。
名残惜しむように血の染みた着物に口元を埋めて、深く吸い込んだ。
くらり、くらりと頭は揺れる。
ほろ酔いのような心地良さ。
「蛍?」
「っはい!」
その甘美な微睡みを止めたのは、背後から伺うように届いた杏寿郎の声だ。
振り返れば、周りの監視をしていた杏寿郎がこちらを向いている。
慌てて胸元を目の前の小川の水で濡らしながら、蛍は取り繕うように笑った。
「ごめん、中々血が落ちなくて」
「それより怪我は。大丈夫か?」
「うん。静子さんに貰った稀血の瓶がね、欠けちゃってたの。それで漏れたみたい」
「あの見知らぬ少年を抱き止めた時か」
「多分ね」
「では怪我ではなかったのか…よかった」
ほっと安堵の表情を見せる杏寿郎に「ごめんね」ともう一度苦笑を向ける。
「しかしいつの間に静子殿からそんなものを」
「あ…だ、大丈夫っ静子さんが偶々まち針で指を刺した時に出た血を数滴、頂いただけだからっわざわざ怪我なんてさせてないし…っ」
すぐに訝しい表情に変わる杏寿郎にはっとする。
そんな顔をするのをわかっていたから稀血のことは黙っていたというのに、すっかり失念していた。
「黙っててごめんなさい」
「…過ぎたことを責めても仕方あるまい。それが静子殿の好意なら無碍にもできないしな…しかし次からは一言伝えてくれ。君自身の怪我かと心配した」
「はい」
素直に頭を下げれば、杏寿郎も深く追求はしなかった。
それでも知らされていなかったからこその不安に、蛍は深く頷いた。
話せばきちんと彼なりに理解を示してくれる。
今後下手に隠すのはやめようと。
「それで、血は落とせそうか」
「あ、うん。血も少量だったし、すぐに洗ったから」
「だが着物は濡れてしまっただろう。この季節には冷える」
「大丈夫、風邪なんて引かないし。着物もそのうちに乾くんじゃ…」
「体調は悪くならなくとも不快感はあるだろう?」
蛍の隣に腰を落として向き合う。
杏寿郎のその手は、湿り乱れた胸元へと伸びた。