第29章 あたら夜《弐》
「え、何これ…血?」
「やはり出血していたのか、痛みはっ?」
「え、え。いや、あの」
唖然と蛍が呟けば、途端に杏寿郎の顔色が変わる。
がしりと両肩を掴まれるも、蛍は困惑気味に頸を横に振った。
「怪我はしてないよ。た、多分」
「多分とはどういう意味だ。これは千寿郎の血が付いた訳ではないだろうっ」
「それは…って血!」
「む?」
「血がっ折角の着物に…!」
最初こそ驚いていたが、現状を理解すれば蛍の顔は真っ青に染まった。
怪我をしようがしていまいが関係ない。
大事なのは着物を汚してしまったことだ。
「ど、どうしようっ洗わないと…っ」
「それよりも先に体の具合を」
「体なんて勝手に治るからっそれより着物!」
血のシミは放置すれば残ってしまう。
折角杏寿郎に花言葉と共に贈ってもらったものだ。
何よりそれが先だと蛍も声を上げた。
「っ…」
「蛍?」
途端にくらりと、頭が揺れる。
こんな声を張り上げただけで酸欠になる訳でもないのに、どうして。
力なく目の前の杏寿郎に縋るように、腕を掴んだ。
「やはり怪我を──」
「大丈、夫」
杏寿郎の顔色が不穏に染まり切る前に、蛍はぐっと拳を握ると一歩身を退いた。
「怪我は、してない。痛みはないから」
「しかし」
「でも、着物を洗わなきゃ。血染みなんて作りたくない」
「…では一度家に帰るか?」
杏寿郎の提案に、蛍は沈黙を残した。
此処で帰宅を選択してしまえば、そのままお開きになってしまいそうな予感がした。
槇寿郎を再度この空気に連れ出すことは難しいだろう。
それにまだ全ては終わっていない。
「…大丈夫。水場を見つけて自分で洗うから。少しだけ、外してもいい?」
幸いにも、この場は人や店で賑わう祭りの広場。
水は求めれば手に入るはずだ。
ゆっくりと顔を上げて蛍が笑いかければ、杏寿郎は眉間の皺を少し緩めたものの向ける視線は変わらなかった。