第29章 あたら夜《弐》
まあるい形に作られたグラスは、下の幅が広く底の方からグラデーションに深く染められている。
周りには菊繋ぎの模様が刻まれており、いくつもの繊細な放射線状の模様は光によりきらきらと反射を変える。
美しい江戸切子(えどきりこ)のカットグラスだった。
「随分と綺麗な容器だな。こんな湯呑は使ったことがない」
「コップですよ、兄上。でも本当に綺麗ですね。使うのが勿体ないかも…」
「値打ちはどれ程のものだったんだ?」
素人の目でも止まる程の鮮やかな造りだ。
しげしげと興味を持ち一つ手に取る杏寿郎に、蛍は笑顔で頸を横に振った。
「槇寿郎さんが一緒にお祭りに参加してくれるって知った時に決めたの。皆がお揃いで持てるものを買おうって」
風鈴ならば険しい顔をしてしまうだろうが、グラスならば日常として使えるはずだ。
そこに気付いた時、蛍の足は自然と店の前まで辿り着いていた。
「だから値打ちは気にしてなかったや」
高かろうが安かろうがどちらでも構わない。
風鈴のようなそのグラスが、太陽光にきらきらと反射して光る焔色の髪を思い起こさせたのだから。
「その色は杏寿郎ね。赤銅色」
「む? これは俺の湯呑か?」
「うん。コップね」
杏寿郎が手にしている深みのある鮮やかな赤いグラスは、誰より炎柱に馴染む。
赤銅色、と口にして思い浮かぶのは蟲柱のしのぶであったはずなのに、不思議とそこには思考が至らなかった。
持つものによって色の印象はまた変わる。
それは瑠火の撫子色の着物にも教えられたことだ。
「この瑠璃色のコップは、槇寿郎さん」
「身が透くような綺麗な青だな。父上、蛍がこれを父上にと!」
「…そんなもの要らん」
「そう言わず。この湯呑ならば茶も酒も映えること間違いないはずです!」
「うん。コップね」
相変わらず槇寿郎の眉間には皺が寄っていたが、その目は蛍の手元に向いている。
多少なりとも興味は持ってくれているのか。
敢えてグラスを選んだのは、酒にしか興味を示さない槇寿郎を汲んでのことでもあった。