第29章 あたら夜《弐》
ゆらりゆらりと男の踊りに合わせて影も踊ります。
手足を波打たせ、胴を傾け。
其処へ漁を終えた父親が帰宅間際に二人の姿を目撃しました。
杼を返してと叫ぶ娘に、何が起こっているのかすぐに理解できました。
なのに足が動きません。
父親の目に映っていたのは、二人の姿ではありませんでした。
その足元で踊る影です。
娘の影は夕日に伸びに伸び、手足を長く地面に伸ばして動いています。
男の影はというと、娘同様夕日に照らされ伸びに伸び、湖の上まで影を伸ばしていました。
ゆらりゆらりと男の踊りに合わせて影も踊ります。
手足を波打ち、胴を傾け、尾を揺らし。
ゆらりゆらりと。
娘よりも長い手足は蛸の足のようにぐにゃぐにゃと折れ曲がり、ただの影だというのにその顔にはきざぎざに並んだ歯が映し出されていました。
耳元まで裂けた口は大きく歪んで笑っています。
細い尾のようなものを揺らし、尖った耳を左右に突き出し、そして頭には大きな牛のような角があるのです。
片方はぽきりと折れているのか途中で影は消えていましたが、もう片方の角は猛々しく上を向いています。
地上で踊っているのは何処から見てもただの人間の男です。
しかしその影は人間とは程遠い、異形の形をしていました。
そう、まるで──
『鬼だッ!!!』
「っ」
目の前の白い布の上で踊る影絵達。
小さな人影から伸びた夕日の影を見事に表し、それはゆらゆらと不気味な鬼の姿を映し出していた。
鬼気迫るような漁師の父の台詞に、びくりと身を竦めた蛍が一歩踏み下がる。
「っぁ、」
その場は密集地。
思いの外近くにいた見知らぬ村人に軽く手先が触れて、蛍は小さな声を漏らした。
途端に、強く腕を引かれた。
有無言わさない力で引き寄せられ、ぐいと何かに押し付けられる。
「っ…!」
「そこにいろ」
微かな声だった。
しかし威圧のあるその声は蛍に否定の声を吐き出させることなく、目も合わすことなく突き放した。
蛍の腕を掴み、村人から引き離していたのは槇寿郎だ。