第29章 あたら夜《弐》
「兄上っ姉上! 一体何処まで行って…」
「すまん! 見ろ千寿郎、この通り食料は調達してきたぞ!」
「え? あ、それなら飲み物もこちらに。姉上の分のお水もありますよ」
「本当? ありがとう千くん」
どたばたと二人が駆け戻り合流した先の千寿郎は、ようやく見つけ出した兄と姉の姿にほっと息を零した。
「でもよかった、見つかって。折角面白いものを見つけましたから」
「む?」
「面白いもの?」
しかし出会えたことへの安堵ではなく、千寿郎の関心は別のものへと奪われていた。
「聞いたことはあるけど、見たのは初めてだから。兄上と姉上にも見せたかったんです」
「…あれか?」
「はい」
「なぁに? あれ」
一体それはなんなのか。問いかける前に、杏寿郎と蛍もすぐに気付いた。
なにせすぐ近くには人の群ができていたからだ。
「父上が場所を取ってくれています。行きましょう」
「父上が? 珍しい」
「槇寿郎さんを一人にして大丈夫かな…ってうわ」
あの気難しい槇寿郎を一人、人混みに放っては誰かと衝突してしまわないか。そんな蛍の心配は杞憂だった。
足を向ければ、すぐに見つけられた目立つ焔色の髪。
それだけならまだしも、髪の下にある顔は見慣れたあの仏頂面なのだろうか。
蛍側からは背中しか見えなかったが、人の群が自然と槇寿郎の周りで距離を置くようにして空間が作られていたからだ。
「むぅ…気迫のようなものを感じる。流石父上だ…!」
「流石、っていうのかな…」
「父上! 兄上達を連れてきましたよっ」
「遅い」
駆け寄る千寿郎に、振り返った槇寿郎はやはり眉間に深い溝を作った仏頂面をしていた。
そんな風貌で背丈もある男が立っていれば、一歩距離を置いた空間もできるというもの。
それが今は都合がよく、人の群の中央程で合流することができた。
「劇は始まってませんよね」
「劇?」
「あれですよ」
頸を傾げる蛍に、わくわくと弾むような笑顔で千寿郎が人の群の先を指差す。
其処には一つの舞台があった。
舞台と言っても、蛍が見てきた歌舞伎や能などの人が演じる為のものではない。