第29章 あたら夜《弐》
それなりに他人を客観視できる目は持っている。
他人の心の機微にも気付ける器用さはあると思っている。
それでも蛍に告げられて、己の世界を知ることが時折あるのだ。
はっとするように。
世界が色付き、知らない色が見えてくる。
「…其処に、」
「ん?」
「其処に君がいてくれるなら、一等嬉しい」
そんな時、いつもはよく回る口が余り動かなくなる。
語りに尽くすよりも、この感情を噛み締めていたいのだろうか。
声量の足りない声で細々と杏寿郎が告げれば、短冊を手にした細い指がそっと触れてきた。
「勿論。私もその世界にいたいもん」
だから、ね。と短冊を軽く掲げて笑う蛍に、力を失くしたように眉尻が下がる。
なんとも形容し難い、この美しい世界を何故己は知らなかったのだと。
「…短冊を貸してくれ。俺が付けよう」
「うん。私、あの風鈴がいいな」
「夜空の風鈴か」
「そう。夜の空みたいだなって思ったの。よくわかったね」
「俺の一等好きな時間だからな」
鬼の蔓延る時間帯でありながら、生き生きと世界を歩む彼女を見ることもできる瞬間だ。
受け取った短冊を手に、一つだけ暗い風鈴に歩み寄る。
軽く手を上げれば事足りる距離を縮めて短冊を結び付ければ、寄り添う蛍がふくりと笑った。
「なんだか、杏寿郎が縁を結んでくれたみたいだね」
「む?」
「ほら、こっち側に私と千くんと槇寿郎さんの名前があって、そっち側に杏寿郎の名前があるから。実際のところ二人を引き合わせてくれたのも杏寿郎なんだけど」
「そうか? 俺には蛍が二人を引き上げ結び上げてくれたように見えるが」
「そう?」
「ああ。実際にも、俺一人だけの帰還では見られなかった父上と千寿郎の顔が沢山見られた。粉うことなく蛍のお陰だ」
「そう、かなぁ…」
「そうだとも」
「…じゃあ二人で結んだ縁ってことかな?」
「成程。二人で造った風鈴だな」
「うん」
ちりん、と夜風に揺られて風鈴が歌う。
他愛もない二人の会話を楽しむように。
見上げる二人の瞳を彩るように。
回廊の灯りに照らされる短冊が、ひらりひらりと舞い踊る。
朝焼けのなかに、四人の名を繋ぎ合わせて。