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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第29章 あたら夜《弐》



「なぁに。ただの好奇心さ」


 しかし圷は含み笑いを一つ返しただけで、明確な答えは口にしなかった。

 この男はいつもそうだ。
 あと数秒杏寿郎の到着が遅れれば、鬼に命を喰らわれていた。
 その直後でも、頸を滴る血を抑えながら力なく笑ったのだ。





『それが…若旦那の、お仕事で?…粋だねぇ』





 何かとのらりくらりと本心をかわしていくところは、音柱の宇随天元を思い起こさせるところがある。
 だからこそ理解できた気がした。

 天元は信頼に足る男だ。
 この男もまた同じなのだろう。


「…ありがとう」

「へぇ? 礼を言われるようなこと言いましたっけ」

「なに。俺が言いたくなっただけだ」


 おどけたように敬語で問う圷に、それ以上杏寿郎は深入りしなかった。

 知ってしまった、という偶然の一致でありながら鬼殺隊や鬼の世界を真正面から捉え、時に連れそう女性のことまで案じてくれている。
 それだけで十分だと。


「杏寿郎っ…さん、」

「む?」

「これ、この風鈴がいい」


 どことなく心地良い空気を止めたのは、弾む声で慌てて敬称を付ける蛍の呼びかけだった。
 少し離れた所で見つけた風鈴を指差している。
 その風鈴は他のものとは一風変わった、深い藍色に染まったものだった。


「成程。朝と夜か」


 短冊は朝焼けのようで好きだと蛍が選んだ色だ。
 そこに夜空のような風鈴硝子が重なれば、夜明けを模しているようにも見える。


「おやおや。なんとも風情のある風鈴ができそうだ」

「蛍は感性が優れているからな。俺の予想のつかない視点でも楽しませてくれる」

「ほう。蛍さんは教養がある女性だと」

「…いや」

「?」

「教養がない、という訳ではないが…蛍は俺の想像もつかない暮らしをしていた女性だ。だからこそ俺にはないものを沢山持っているのだろうな」

「…成程」


 圷の手前、と思って先程も杏寿郎を呼び直したのだろう。
 二人きりでいる時は砕けた口調になることは圷も薄々知っていた。

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