第29章 あたら夜《弐》
「…煉獄 蛍、か」
「ぁ、改めて言われると余計に恥ずか」
「煉獄 蛍。いいじゃないか。真新しさは残るが、俺には愛おしい名だ。ぜひその短冊を飾って欲しい」
蛍の手が短冊を強く握り締めようとすれば、やんわりと上から包むように握られ止められた。
「近しい未来にはそうなる名だ。何も問題ないだろう?」
「決まり事なんてもんはないさ。好きに綴って飾ればいい」
杏寿郎が圷に問えば、肩を竦めて甘い空気を嫌うように手を振られる。
その言葉に、ふと蛍は思い立ったように再び筆を手に取った。
「なら…もう一つ、いいかな」
「む?」
「なんだい?」
自信はなかったのか。杏寿郎の字体とは異なり、短冊の下の方に申し訳なく書かれた蛍の名。
その上の空白に筆を滑らせたかと思えば、新たな名が綴られた。
「それは…」
「…へぇ」
自分の名前よりしっかりとした字で綴られたのは、槇寿郎と千寿郎の名だ。
「縁を結ぶという意味なら、二人を載せてもいいかなって」
「成程なぁ。家族だもんな」
「はい」
「……」
「いいかな、杏寿郎」
「っああ、勿論だとも」
は、と頷く杏寿郎に、ぱっと花咲くように蛍に笑顔が宿る。
「よかった! じゃあ飾らないとね」
「風鈴は短冊がないものなら、どれでも好きなものを選んでいいから。この回廊のものならね」
「本当ですか? なら…」
一つ一つ、風鈴を見て回る。
その手に短冊を大切に握り締めて。
そんな蛍の姿をじっと杏寿郎が見守っていると、隣で穏やかな含み笑いが届いた。
「成程なぁ。若旦那が大切にするわけだ」
「…俺達の間柄で絡まないで欲しいと先程言ったばかりだが?」
「冷たいことを言いなさんなよ。俺達の仲だろう? 旦那」
「言う程の仲だったか?」
「ははッ言うねぇ」
気にした様子なく笑う圷は、横目で杏寿郎を流し見すると再び短冊を手にした蛍を追った。