第29章 あたら夜《弐》
「そういやまだ名乗っていなかったな。俺は圷といいます」
「あくつ、さん」
「はい初めまして」
初対面を仕切り直すように、ゆるりと片手を差し出してくる。
にこりと笑うその笑顔にいやらしさはない。
圷の顔と手を交互に見ていた蛍は、杏寿郎の隣に並ぶとおずおずと手を差し出した。
「先日は失礼なことをしました。あの若旦那が選んだ女性とだけあって、つい気になって」
「…っ」
「圷殿」
「はは、悪い悪い。これがいけないんだっけか」
あの蕎麦屋の二階で目が合った時のことを思い出した蛍が顔を赤くして俯く。
触れた手をやんわりと一度だけ握り返すと、ぱっと離して圷は軽く笑った。
「それじゃあ蛍さん。風鈴の縁結び、していくかい?」
「ぁ…はいっ」
「名前を書くだけだが、ここに一式揃ってるから好きな短冊を選ぶといい」
回廊が途切れてある間に、机と椅子が設置してある。
其処には色とりどりの短冊が、底の浅い箱に並んでいた。
「蛍が好きなものを選ぶといい」
「じゃあ……これ、」
そ、と蛍が一枚の短冊を手に取る。
薄い藍白(あいじろ)から淡香(うすこう)へとグラデーションのように染まり変わっている短冊だ。
「ふむ。珍しい色だな」
「朝焼けみたいだなって」
「朝焼け?」
「うん。ずっと見ていたくなる綺麗な色」
短冊を両手に握り笑う蛍に、杏寿郎の表情もつられるように柔く崩れる。
「ではそれにしよう」
「じゃあその表と裏に、お二人さんの名前を記してくれるかい。記された名前が一枚の短冊で結び合う。そういう由来さ」
「成程。では俺から書こうか」
「はいよ…って若旦那、墨は零さないでおくれよ」
「問題ない!」
備え付けの筆を手に取ったかと思えば、短冊からはみ出さんばかりの勢いで達筆に書き綴られる「煉獄杏寿郎」の名。
その勢いに負けないだけの堂々たる名前の絵面に、思わず蛍と圷は短冊を覗き見た。
「相変わらず見事な名前だねぇ…若旦那程この名が似合う者はいないだろうよ」