第29章 あたら夜《弐》
「短冊は無料なのでお気軽にー……おや」
短冊を配布していた男が、のほほんと呼びかけていた声を止める。
その目もまた蛍を捉えて止まっていた。
「これはこれは。若旦那と蛍さんじゃあないか」
其処に立っていたのは、蕎麦屋でばったりと出くわしたあの男だった。
杏寿郎と蛍を見てにんまりと笑う笑顔に、自然と蛍の足が止まる。
「先日ぶりかね」
「うむ。そうかもしれないな!」
「若旦那達も縁結びをしに? お二人さんならその必要も無さそうだけどなぁ」
「俺達の仲を買ってくれるのはありがたいことだと受け止めよう。だが余りその点で絡まないで欲しいのだが」
「へぇ? なんでまた」
闊達な言動はいつもの杏寿郎そのもの。
しかしその声がふと静まれば、見開いた強い双眸が繊細な動きで己の背後を捉える。
「彼女が嫌がる」
自然と足を止めた蛍が、杏寿郎の背中に隠れるようにして身を縮めている。
唯一覗かせていた目がぱちりと男と合うと、慌てて仔猫のように引っ込んだ。
「おやおや…俺は嫌われちまったのかね」
「そうではない。だが個人の事情を覗き見るのは良いこととは言えないぞ。彼女でなくとも嫌がることだろう」
「ぃ…嫌がって、ないよ」
「む?」
「へぇ?」
「少し…恥ずかしかった、だけで」
男を嫌ってはいない。しかし苦手意識は多少なりともできてしまったのかもしれない。
そんな主張を杏寿郎の背中から顔を覗かせたまま、蛍は辿々しく告げた。
「私は、杏寿郎さんの…家族に、なりたいと思っていますから。それを認めて貰えるのなら、嬉しいです」
「蛍…無理せずとも」
「無理してないよ。本当のことだもん」
容姿も性格も強い個性を持ちながら、人を惹き付けて止まない。そんな杏寿郎の大切なひとになれたのだと、言えるものなら言ってみたい。
自慢してくれと杏寿郎に後押ししてもらえたからだけではない。
蛍自身にだってその思いはあるのだ。
「ふはっ成程なぁ。健気で照れ屋なお嬢さんかとばかり思っていれば、潔いところもあるじゃないか」
そんな蛍の姿勢に、男の声色が変わる。