第29章 あたら夜《弐》
「それなら俺も出」
「杏寿郎も出さなくていいです」
「む?」
習うように杏寿郎が懐に手を入れれば、皆まで言わせず蛍が見透かすように遮った。
「今までは全部杏寿郎のお給料で面倒見て貰ってきたんだから。今日は私が返す番。ってことで杏寿郎は一銭も出さなくていいよ」
「しかし、それは流石に…」
「柱のお給料に比べたら雀の涙かもしれないけど、二人を楽しませるくらい私にもできるから」
男としても如何なものか、とは口に出さずに渋る杏寿郎に、蛍は頑なに頸を縦に振らなかった。
「蛍が稼いだものだろう。君の好きなことに使ってくれればいい」
「じゃあ何も問題ないよ。これが私の好きなことだもん。今一番望んでいることだから」
ほら、と杏寿郎の背を押すように蛍が触れる。
「私は二人に楽しんで欲しいの。勿論槇寿郎さんにもね」
「むぅ…」
「寧ろこのお金全部使って欲しいくらい。その為に用意したんだから」
にっと砕けて笑う蛍は、杏寿郎の前で時折見せる女の顔でも、鍛錬の間際に見せる継子の顔でもない。
共に家族としてのそれを望む蛍の無邪気な笑顔には、杏寿郎もそれ以上強くは押せなかった。
「わかった。蛍がそれを一番に望むのなら、断るのは野暮というものだ」
「うん」
「でも兄上…」
「千寿郎! 姉の頼みだぞ、弟が甘えなくてどうするっ」
「…いいんですか?」
「違うなぁ千くん」
「え?」
切り替えの速さもまた杏寿郎の長所だ。
促す兄に、それでも煮え切らない弟は、申し訳なさそうな影を残したまま頸を傾げた。
「そこはいいんですか、じゃなくて。あれがしたいって教えて欲しいかな。おねーさんはそれが聞きたいです」
千寿郎の手を握り、誘う蛍の瞳もまた賑やかな光景に踊っている。
「私、縁日は見たことがあるけど堪能したことはないの。その空気だけしか知らなくて」
神幸祭とはまた別の縁日を、人間の頃に見かけたことは幾度かあった。
しかしその頃は十分に楽しむだけの金銭は持ち得ていなかったのだ。