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いろはに鬼と ちりぬるを【鬼滅の刃】

第28章 あたら夜《壱》



「千寿郎、忘れ物はないか?」

「はい。大丈夫です」

「うむ。では行」

「待って」

「む?」

「出発は七時の予定でしょ?…もうちょっと待ってもいいんじゃないかな」


 玄関を出ていこうとする煉獄兄弟を咄嗟に呼び止める。
 そわそわと背後を気にしながら告げる蛍に、杏寿郎は頸を傾げ、千寿郎は「あ」と声を上げた。


「父上ですか? もしかして説得できていたとかっ」

「ぁ、いや」

「父上?…父上は確かに誘いはしたが、きっぱり断られてしまったはずだが……よもや蛍も?」

「う、ん。誘いは、したの。念の為」


 千寿郎にはあの後すぐに、上手く説得できなかったと伝えてある。
 残念そうにしていたが真実を伝える他なかった。
 だが杏寿郎には話していなかった為、今知った事実にその顔は驚きを示した。


「一人で行ったのか?」

「うん。複数で押しかけると圧を感じさせちゃうかなって。一対一で向き合った方が話しやすい気がして…」

「乱暴にはされなかったか」

「ううんっそんなことは全然っ。ちょっと話を遮られたくらいで、耳は傾けてくれたよっ」


 慌てて頸と両手を横に振る蛍に、しかし杏寿郎に笑顔は浮かんでいない。
 太眉を寄せて訝しげな表情をする杏寿郎に、蛍は笑顔のまま内心焦りを覚えた。

 杏寿郎は洞察力が高い。
 化粧を崩したあの顔と、槇寿郎の件を結び付けられてしまっては困る。

 槇寿郎のことは未だ苦手だが、歩み寄りたくない訳ではない。
 そして何より父と息子達の間に溝を作りたくはないのだ。


「それより杏寿郎も綺麗な着物を着ているね」

「うん?」

「さっきは千くんの羽織ばかりに目がいって、よく見てなかったから」


 話題を変えなければ。
 そう思い咄嗟に持ち出したものだったが、改めて杏寿郎の姿を見て蛍は声を止めた。

 蕎麦屋の二階に連れられた時のような、闇夜に溶ける全身黒尽くめの姿ではない。
 着物は黒を基調としたものだったが、義勇の半柄羽織のように左半分の生地には黒地に臙脂色の紗綾形(さやがた)紋様が入っている。
 卍(まんじ)つなぎ文の一種で、端正な卍つなぎを菱状に歪めたその形はよく使用される紋様である。
 しかし半柄に刻まれた着物生地を見たのは初めてだった。

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