第28章 あたら夜《壱》
そう言いたくもなるが、千寿郎と八重美は今の蛍の顔の酷さを知らない。
自ら暴露することはできないと唇を結んだ。
「そこで、はしたないことは承知でお頼みしたいのですが…」
「? はい」
杏寿郎の顔は見えない。
しかしシーツ越しに背と腰に添えられた手が力をかけたものだから、抱き寄せられた蛍は思わず顔を上げた。
「身形を整えて改めて顔を出しに行きますので。それまで千寿郎と客間で待っていて貰えますか?」
「そんな、杏寿郎様は休息中なのでしょう?」
「兄上は昨夜も遅くまで見回り警護をしていましたし。もう少し寝られては…」
「いや。折角足を運んで下さったんだ。俺も八重美さんと話がしたい」
「…杏寿郎様…」
「──ただ、」
八重美の纏う空気が甘く和らいだことは、その声で蛍も理解できた。
共に同じ想いを抱えた間柄だ。
一度抱いた恋心を簡単に消し去ることができないことは蛍もよくわかっていた。
「それまでの間、蛍を預からせて頂きたい」
「……え?」
思わず反応したのは、今まで沈黙を貫いていた蛍だった。
それも二呼吸程遅れて反応してしまった。
尚も顔を上げれば、頭まですっぽりシーツを被らされている為に間近な杏寿郎の口元くらいしか見えない。
その口元は揺らぐことなく笑みを浮かべていた。
「深い理由はありません。この蛍の姿をもう少し味わっていたいのです」
「そ…え…」
「浅はかな男の頼み事で申し訳ありませんが」
「そ、そんなこと…っ」
わたわたと頸を横に振る八重美の顔が、まるで自分に向けられた言葉のように赤く染まる。
昔から伊武家の娘として煉獄家の嫡男である杏寿郎のことは知っていたし、遠目であろうがずっと見てきた。
そのはずの杏寿郎の、知らない一面を見てしまった。
浅はかと自嘲しながら、深い愛で語る男の顔を。
かつては好意を抱いていた相手だ。
欲などとは無縁そうに見える杏寿郎だからこそ、雄みのあるその姿に顔が熱くならない訳がない。