第28章 あたら夜《壱》
「わかりました。けれど心配するので、あちこち顔を突っ込まないで下さいね。今はまだお昼時ですし」
「ふんふ…むうふふ」
「うむ。今のはご」
「めんね、でしょう?」
「わかるのか?」
「わかりますよ。俺だって姉上の弟ですから」
兄に皆までは言わせず。下がり眉の大人しい表情ながら、これだけは譲れないと言うかのように千寿郎が胸を張る。
その姿に杏寿郎もくしゃりと表情を崩して笑った。
「ははっそうだな!」
「しかし兄上、それでは姉上が息をし辛いのでは…?」
「む。そうか、そうだな」
千寿郎の指摘に膝元でくしゃりと皺を刻んでいた布団を掴むと、ふわりと蛍の姿を隠すように被せる。
ようやく杏寿郎の手から解放された蛍が僅かに顔を上げれば、そこはもう既にシーツの波の中だった。
「見苦しい姿をお見せしてすみません。──八重美さん」
近くで聞こえる杏寿郎の声が、その場にはなかったはずの声の主を呼んだ。
途端に、襖の向こうで慌てた足音が響く。
「え、いえ…こちらこそ申し訳ありませんっお休みのお邪魔となるようなことを…っ」
「いいえ。千寿郎にも話した通り、自分で起きていました。誰かに起こされた訳ではありません」
流石に就寝中だった杏寿郎の部屋に踏み入ることは躊躇したのか。廊下で待機していた八重美の気配に気付いていた杏寿郎が、気を配り声をかけたのだ。
「もしや蛍に化粧取りを教えて下さったのは八重美さんですか?」
「ぁ…そう、です。未熟ながら、お手伝いさせて頂きました」
「なんの。とても愛らしい姿を目覚めに拝むことができました。この日を忘れることはないでしょう」
杏寿郎が優しい音色で褒めれば褒める程、シーツとその腕に抱かれた蛍は一人頸を傾げた。
(驚かせて笑わせるという意味では、忘れられない目覚めになりそうだけど…)
目覚めた瞬間はそうだったかもしれない。
しかし蛍の顔を見た途端に吹き出していた杏寿郎だ。決して今告げたような、柔い声で綴る景色ではなかったはずだ。